2012.12.13

国政は絶望的な状況で、仕事は相変わらず好機であると同時に崖っぷちで、公も個もあまりにも混沌としており、ほとんど判断がつかない。時々、大人の事情に否応なく飲み込まれて、相変わらず猫の額ほどの居場所を死守しているに過ぎない自分の立場を思い知らされたりもする。幸運な人を見ると、不幸に抗い続ける自分の脆さを痛感するものだ。

写真家の姿勢の話で、ふと友人が「世界を見るのがイヤだからファインダーの中に逃げ込むか、世界にしっかり目を向けつつファインダーの先にそれを見つけ出すか。」という両極の定義を挙げた。おそらく、今まではその両極で良かった。でも、これからはファインダーの中に逃げ込んでも否応なく社会情勢は入り込んでくるから、その拒絶/受容の力の質と量も問われる。

写真に限らず、作家のコンセプトとして社会や政治思潮を見据え、洞察し、尚かつ純粋にそれ自体を題材化して表現を行うことは、とてつもなく難しい時局になってきた。インターネットの情報拡散と操作で、精査した論理の力が及ばない世界になってしまったから(蛇足だけれども、おそらく現在、もっとも権力側の情報操作に貢献しているメディアがtwitterだと思う)、もはや、テロ行為のように衝撃と賛否を呼び起こす際立った表現しか受容されなくなりつつある。
記憶に新しいものでは、震災発生直後の福島第一原発で監視カメラに向けてパフォーマンスを行った「指差し作業員」の例が思い起こされる。肯定か否定かを含め、人それぞれ解釈は異なると思うけれども、少なくともそれが自己自身を渦中に投じることで生じる「重み」に根ざした、いわば自爆テロのようなパフォーマンスだったことは疑いようもない。

映画監督の園子温の評価がこれまでにない程に上がってきているのは、彼が長年貫いてきた極端な斬り込み方に、社会情勢が追い付いてきたからだと思う。もはや彼は異端ではなく、もっとも真っ当な表現者に定義が変わりつつある。
僕は恐らく、後者の戦い方はもうしない、できないと言ってもいい。それは数年前のある時期から、僕自身の心身の状況が否応なく変わってしまったからだ。
だから、前者の姿勢のもとに、複雑に絡まった糸から信に能う一本のラインを手繰り寄せようと、四苦八苦しながらこれからも写真や映像を撮り続けることになると思う。

今週は、睡眠時間を削って2つの新作をあるコンペに送り込んだ。結果はさておき、作品は生まれたのだから無益なことではないだろう。間髪を入れず、年始の大きなコンペに、秋に撮影した枚数の多いシリーズを投入する。仕上げていないシリーズもあと一つ控えている。まずはそれらを全て出し切ってから、自分自身への審判を下したい。
思えば映像にせよ写真にせよ、これほど濃密に制作と向き合い、作品を量産した年は今までになかった。失策もあったとは思うけれど(出品会場に急ぐあまりオービスを光らせたりもしたし)、30代半ばに入っている自分に与えられた残り時間を痛感する中で、10の失敗の中に1の成功が含まれていれば、それでいいという考え方に必然的に変わった。仕事の映像も個人の取り組み同様、作品が一本でも多く世に出て、少しでも残って欲しい。

再検査になっていた血液検査に大きな異常はなかった。これはほとんど僥倖と言ってもいい。身体は(少なからず醜くはなったかもしれないけど)まだ大丈夫。思考も出来るし動くこともできる。投票もできるし、出品もできるし、仕事にも全力を注げるし、おまけに酒を飲んでも問題はないらしい。
朝に生まれ、午後には成熟し、夕方に老人となり、深夜に一度死に、翌朝生まれ変る。そういう日々の繰り返しを求めている。微かに脳裏に焼き付いたまま引き継がれるものは曖昧模糊とした記憶の情景や漠然とした想いだけであり、その記憶を個人の枠を越えて普遍化する力があるのなら、おそらく僕はまだ生きるべきではないか。
最初から疲れ果てている僕は、それでも次へと向かう意思を得る口実を考え続けるだろう。だから夜毎、酒を飲んで、写真を仕上げて、カミュとブコウスキーとトマス・ピンチョンを並行して読む。酒と本に深く潜る行為は、明日を迎えるために一度、自分を忘れ去る儀式のようなもの…。

ちなみにカミュの「ペスト」は10年振りに再度読んでいる。冒頭で主人公リウーの妻が街を出るのと入れ替わりに、ペストがその街で猛威を振るい始める。街に残ったリウーはそこから歩み始める。私情を埒外に置き、超然と善を貫くための準備ができているということだ。作者によって仕組まれた偶然が、主人公の善を裏から支えている。本当に良く出来た長編だと思う。重い題材でありながら、これほど安心して読める小説はそう多くはないんじゃないか。震災以後の世界で読むカミュは、少し違った趣がある。不条理の定義は、それが多くの人々の前に目の前の現実として立ち現れたとき、なにか別の性質のものに変わったのかもしれない。誤解を避けるために書いておくと、福島の現状とペストの悲劇の舞台を重ねて読んでいる訳ではなく、不条理と言うものに、個人的にあらためて惹かれて読んでいる。
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by akiyoshi0511 | 2012-12-13 09:46 | monologue

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