大地の標本

札幌を出る前日に、ベルンハルト・エドマイヤーの写真集を購入した。写真そのものも、その編纂も見事で、独自の、かつ普遍的な体系を有し、凝視することと考察することをこれほどまでに完璧に織り上げた例は少ない。20世紀に君臨する「地上の」ベッヒャーに対し、21世紀序盤に現れた「空の」エドマイヤー…。そう表現して差し支えないほど、この写真家が現れた意義は大きいと思われる。

「地球全土」という「標本のための最大規模の器」から、固有の特性や視覚効果を有するランドスケープを選び出し、地質学の体系で構成する。現前するものは、我々の陳腐な営みを軽々と凌駕する地球の強かな有りようである。人類への警鐘というような人間本位の意味づけは、これらの暴力的な美の前では不要だろう。そこでは「人間以前と人間以後の地球」が垣間見え、我々人この地球を荒し回っていることさえ、地球の歴史の中ではほんの一瞬の出来事に過ぎないことを感じさせられる(そして、そのことに安堵を禁じ得ない)。

この視線は鳥の目でも神の目でもなく、大地の怒りでも、まして生命の讃歌などでもない。そこにあるのは、ただただ「何があろうと存在し続ける」大地そのものの根本的な、強靭な論理である。しかもこれは、人間がその場に立ち、肌で感じるこさえできないほど暴力的で不毛な論理だ。人間の営巣を許さない領域こそが、もっとも地球の原型に近い、大地そのものの生命力をたたえた領域でもある、ということだ。

おそろしい写真、その一言に尽きる。これはは間違いなく、他の写真家にとって100%追随不可能な取り組みでもある。
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by akiyoshi0511 | 2008-06-29 11:29 | monologue

映像作家・写真家 北川陽稔 http://www.akiyoshikitagawa.com/


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