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けだし現実

20日から東京滞在、それがひと月に渡る見込みのため、こちらでの夏の撮影を何とか終わらせておかねばと思い、ここ数日は随分と無理をしてきた。仕事のやりとり以外は何事をも意に介さず、罪も矛盾も辞さず…と書けば美しいものの、現実は要するに、かなり不甲斐ない状況を背にしていた、ということ。諸般の不安を撥ね除けて、一日でも、一枚でも撮影をと思い、実行してきた。

この撮影のために中古で買った旧式のハッセルに(それでも数本分の仕事のギャラが飛ぶ、一式数十万の代物)、短期間でこれだけの撮影枚数を課すのもどうかとは思っていたが、案の状、撮影可能日数が残り二日となった日曜の16時半(つまり、この撮影に最適な時間帯)、以前から時折不安定だった機構に問題が生じて撮影は強制終了。9月後半にも追加撮影は考えているけれど、北海道の秋は駆け足…可能な撮影は限られているだろう。それに、秋は秋で予定している地域の撮影がある。

タイミングの良すぎる故障に消沈しつつ一度札幌に戻り(それでもよくここまでノントラブルでいてくれた、という気持ちの方が強い)、月曜にいつもお世話になっている札幌の中古機材屋に駆け込んだところ、札幌でハッセルを扱える職人を紹介してくれた。カメラはその日の午後に無事再稼働し、天気は薄曇りでいまひとつだったものの、最終日の撮影を何とか2時間くらい、実行できた。

・・・

とにかく、目の前には気配に満ちたウトナイの原野があった。これは、確かな手応えをもって自分が触れることのできる「正真正銘の現実」だった。
札幌という地方都市が遠目に眺める彼岸であるとするなら、ウトナイの原野は、最後に自分に残された現実そのものであり、同時にその突破口でもある。要は、全体を粉砕するために部分を捉える、ということだが、写真がそのまままに自分の姿勢を物語るかは分からないし、そのままだから成功だという訳でもないだろう。
少なくとも、自己に前向きな意思や確たる感触を与えてくれるのは、去年から札幌郊外で緩やかに撮り重ねて来たラージフォーマットの写真ではなく、ウトナイ・勇払原野で、他の物事をすべて心の埒外において無心に切るシャッターの感触なのだと、この撮影を始めてから気付いた…気がする。

その原野ともしばしの別れ。明日からはむせ返る東京の熱気の中で、映像仕事の方でも一段階自分を脱皮させるべく努力を重ねる。
ビールも飲みたいし、5月以来の長期滞在なので、会いたい人間もそれなりにいる。
by akiyoshi0511 | 2008-08-19 01:59 | monologue