カテゴリ:monologue( 100 )

東京雑感

羽田空港のポーチに降りてから、五反田にあるスタジオまで、視線を向けた先に映るのは悉く痛ましい光景。自然を欠いていることではなく、無駄なものしかないことがこの上ない虚しさとしてこの目に映るのだった。

夜毎首都の周縁で酩酊し、古女房のような友人の家に世話になり、飽きるほど通った喫茶店に相変わらず入り浸った数日間。風邪に魘され、蜥蜴の顔をした醜い男女のとばっちりを受けたりしながら、それでもこれらは新天地で自分を見失わぬためにはほどよい「毒」なのだと思うことにした。

そして今日。透明な水、冷やかな初秋の風、水面を舞う鱒…。
昨夜まで目にしていた光景は一体なんだったのか、そして今日眼前にある光景はどこの惑星のものか。僕はソラリスにいるのか?

しかし耳を劈く不快な轟音にふと空を見上げれば、F15が編隊を組んで飛び去ってゆく。
ここはまぎれもない、日本の地方都市だ。
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by akiyoshi0511 | 2007-09-20 08:31 | monologue

ビアガーデン

ずっと眺めるだけだった大通公園のビアガーデンに、今さら参戦。
知っている人と盛り上がり、知らない人とも乾杯する。

札幌の夏祭りは7月下旬から8月の盆明けまで、だらだらと長く、その間は花火やビヤガーデンや繁華街のイベントなど、ほぼ途切れなく催しが続く。

北国の短い夏を余すところなく楽しみたいという、人々の思いの現れなんだろう。
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by akiyoshi0511 | 2007-08-15 00:23 | monologue

Unknown Northern City

ある日、ある岬へー
15年ぶりに釣り道具を背負い父の背を追ったが、崖を上り下りする時に先に息を上げたのは、父の方だった。

別の側面、毎日がロケハンのような日々でもある。
東京はうだる暑さだろう。此処の清浄な空気は鋭気を養うに充分すぎるだけでなく、この土地自体がある種の発見でもある。

此処はわたしの故郷などではない。ほとんど未知の、ゆるやかな罪の上に立つ、未だ匿名の都市。封建的ななにかは此処まで届かず、差し当たりの態度に否定も肯定も必要ない。言うなれば、道々のアスファルトさえも薄いのだ。故に、己自身の思想や感性の輪郭もかえって明確になる。

浅薄な近代の上に、倭人と先住民族のどちらにも呼応できない人間が視線をたむけながら、ただ立っている。此処では常に、己自身の在り方が個的に、率直に問われる。

夜眠れば、川崎の夜光の光景がひときわくっきりと眼窩の闇に浮かぶ。
あらたな制約があるものの、やっと、本当の意味で彼等にレンズを向けられるではないかという期待も感じる。ジョナス・メカスが言ってのけたように「時間の結び目を解きほぐした」というほどのものではないにせよ、ある種の段差の意味あいをこれまでよりも明確に分析可能にはなるだろう。
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by akiyoshi0511 | 2007-07-28 17:41 | monologue

2005年の日記

当時の稚拙な文章の細部を気付いた時に修正しながら、
この作業にともなう懐古がこれからの自分にとって大きな意味を持つことに気付く。

万事快調。

北海道に戻った自分が繰り返し観るものは、
「惑星ソラリス」ではなくそういうものなのだった。
少なくともそうであるべきだと。

・・・

10代の頃、毎日のように夕暮れ時に散歩していた公園を、
20代の終わりに差し掛かった今、毎朝散歩する。

それなりに整理された思考と、
ふたたび沸騰する思考。
どちらもどうやら、生きている。
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by akiyoshi0511 | 2007-07-08 09:38 | monologue

2007.5.24

Thomas Struthの写真集を2冊購入した。かなり高かったけれど、ずっと気になっていた、というよりはいつか買いたいと思っていたもので、ここ最近の心境も手伝って、無理を承知で購入した次第。中平卓馬の著作も出ていたので、一緒に購入。後者は思っていた以上のボリュームで、ある意味ではこれまで明らかにされていなかった部分も多い氏自身の初期の言論のディテールを、これでトレースできるなと。今更、とは決して思わない。基本的に、すべてが生きた言葉だと思う。

Thomas Struthは数年前から意識してきた写真家で、やはりドイツの、文字通りというかまさに筋金入りの視線は「深度」がぜんぜん違うと感じさせられてきた。個々の対象物に対する頑なまでの姿勢もそうだが、氏の写真行為全体の長年の遷移であったり、カメラによる「標本」のごとく収められてきた対象物のすべてを、モンタージュ的に見た時に生まれる一体感が揺るぎない。編集も写真家の仕事、なんていう言葉が陳腐に思えるほどに、それらの結びつきは地に足が着いている。ひとつのシリーズから次のシリーズへと対象が変化し、またそれを繰り返すごとに、写真家というよりも写真そのものの存在意義が立証されてゆくような、巨視的な在り方。歴史に対して自覚的な国民性がそれを可能にしているのかもしれない。
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by akiyoshi0511 | 2007-05-24 05:38 | monologue

memo_9

今まで以上に「標本」としての撮影行為に重きを置く。そして逐次映像化され発信される写真標本が、なにがしかの意味を生むまで試みは続くと思う。継続、というのが重大な要件となるのははじめてのことで、今まではある種のおとしまえばかりに拘泥してきたのだった。

「逐次映像化され発信される」場は今後の状況に応じて決定されてゆく訳だけれど、組み上げたものをある段階でオリジナルなものとしてまとめ上げる場として、ある種のライブパフォーマンスのようなものも視野に入れている。

もう数週間は自室での実験が続いて、その後今年最初の仕事以外の撮影の場は厳寒の道東になる気がしている。もう始まっていることではあるけれど、そこから改めて出発したい。
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by akiyoshi0511 | 2007-01-28 05:13 | monologue

TMX_0111

T京現像所で試写を観るために待合室にいて、ふと壁にかけてあった一葉のプリントが目に留まった。苔むしたどこかの里山、橙色に紅葉した木々の隙間にお堂がこじんまりと収まっている、スクエアの画面。

飾られていた他の写真は例えばスローシャッターで捉えられた沢や、広角レンズでパースペクティブを誇張した風景など、仰々しい有り体の美意識を感じさせて逆にほとんど重みを欠いていたが、その写真だけは妙にリアリティがあり、潔い輝きを放っていた。まるでその場に居合わせたかのような、樹皮の芳香や手触りや、晩秋の冴えた空気を伝えるような、体験そのものに果てしなく近い写真。おそらくは撮り手さえも意図していない、認識の零度をさまよう「決定的瞬間」がそこには体現されていた。

ときどき、予期せずそういう写真に出会う。
ここのところ映像のことばかり考えていたけれど、一気に写真の世界に引き戻された気がした。

「世界は美しい」とか「美しい国」などと寒々しく口にする輩が多いようだけれど、本当に世界が美しいと思える瞬間なんて稀だ。
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by akiyoshi0511 | 2007-01-11 23:02 | monologue

2005.7.29


「焼身」を読み終えて、共同幻想論に戻った。丁寧に読みすすめる。しばらくは退屈しない読書が続きそう。

「焼身」はこれまでになく、文学者であり行動する個人である宮内勝典が浮き彫りになる佳作だと思う。「始祖鳥〜」や「金色の虎」は立派な秀作だけれど、彼が彼自身から一歩高いところまで上り詰めて、思想が先鋭化し意識がスパークした状態で書かれており、作品としての完成度は至高のものであるとしても、凡庸な読み手には教義的にすぎて、距離を感じてしまう面もあった。聖も邪も併せ持ち、清濁併せ飲むという気概、常に善悪の彼岸を見据えながら、世界市民に立ち返って模索するという意識の強度。そういうことの崇高さはよくわかる。主人公はいつも若々しく魅力的で、世界に翻弄され全身に擦過傷をまといながら、人間の、人間たる姿を直視する様は本当に美しいと思う。そういう意味で氏の作品は通俗ではなく芸術の領域に踏み込んでもいる。しかし誰もが、何ものにも依ることなくあのような個としての強度を保てる訳ではない。宮内氏の文学や言動はこれまで、(誤解を恐れずに言えば)ある種の選民性を帯びていた。文芸復興(ルネッサンス)というスローガンにも現れているように。現代における天才(錯誤であれ)でなければ、彼の作品に100%のシンクロニシティを見出すことはできないだろう。それくらい峻厳に煮つめた正論で、世界を突いていたということなのだが、その「強度」ゆえに、脆弱な読者を受け手をはじき返すという側面もあった。

しかし「焼身」…老年を迎えつつある宮内氏本人のレポートであるという率直な私性にまず驚く。そして9.11以後の世界という真空状態(歴史的に見ても、こういう時に一気に保守反動が台頭するのは明らか)において、新たな一矢を模索する姿は今までとは少し質が違う。一個人としての限界や、思想と矛盾する弱ささえ愚直なまでに明るみにし、自分のすべてを遡上に上げてやろうという強い居直りと、あらたな覚悟を感じる。たった一人の師を求めて彷徨する様、そのなかで己を正直に回顧し、己の人生を抱きとめようとする優しさ(それは意識的にも無意識的にも、妻への視線に顕著に現れる)が、読むものの心を動かす。

密林で、X氏ことクァン・ドゥック氏を追体験するという「個としての思想的接続」はこの本のハイライトだけれど、多少の強引さを禁じ得ない。その意味でこの作品は思想的には未完に止まっていると思う。信じるに値するあらたな何か、の本質は、まだ見定められないのだろう。しかし寧ろ秀逸なのはその直後にやってくる、朽ちた寺での、ハンセン病の少女との邂逅と、そこでの畏怖と挫折の感覚だと思う。思わず走り去った妻への気遣いに、どうしようもないジレンマと痛みが刺してくる。文学者としての自分が瓦解しかねないような痛烈な自己批判。そこに、読み手としては逆説的にわずかな希望を見出すことができるように思う。

真摯に考えつづけ、そして行動しつづけ、悩みつづける。微かな正論を得てもなお、時には圧倒的な世界を前に一瞬で吹き飛ばされ、時にはソフィスティケートされた制度にはじき返される。しかしそれと覚悟で、暑い炎天下を、危険な密林を思考しながら歩き続けること、それこそがまず意思であり思想なのだと思う。人間が立ち上がって歩行をはじめたときのように、私たちはゆっくりと、「人間自身」について考えることのあらたな次元を切り開いてゆかねばならないのだろう。

「アンダーグラウンド」の村上春樹に爪の垢を煎じて飲ませたいほどの、苛烈な誠実さ。団塊世代を小馬鹿にする「身軽な」少女たちに突きつけてやりたい切実な生々しさだ。
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by akiyoshi0511 | 2005-07-29 00:00 | monologue

2005.7.15


数あるタルコフスキー解釈本の中でも秀逸な一冊「永遠への郷愁」を再読する。とくに「ノスタルジア」「サクリファイス」の項目を丁寧にトレース。以前に集中的にタルコフスキー関連の著作を漁った時期は、旧ソ連時代の「惑星ソラリス」「鏡」「ストーカー」を中心に読んだ。亡命後の後期の方が、技術的/思想的洗練度が高いのは分かっていたが、それら後期の集大成的作風に至るまでの、諸処の煩悶や実験の、暫時的帰結のあらあらしさのようなものに、むしろ馴染むことが出来たのだった。
しかし最近になって、後期の2作にも同じくらいの愛着を感じるようになった。両作を受け容れるのを邪魔する心情的な壁がなくなってきている。

自分自身の及ばぬ領域を、少しずつ受け容れるようになってきている。それでも、本当の叡智に触れるだけの用意ができるのは、まだずっと先のような気がする。
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by akiyoshi0511 | 2005-07-15 00:00 | monologue

2005.7.11

土曜は幕張ロケハン。一通りの確認は済んだので、日曜は体調を取り戻すために1日オフにした。思えば、一ヶ月全く休みなしで行動していた。

陽がやわらぐ時間になってから車を出した。途中で弁当を買い、車で30分弱のところにあるいつもの沢へ。夏日でも川の周囲はひんやりとしている。食事を済ませてから、湖の周囲を数キロ歩いた。舗装されているが一般車は立ち入り禁止なので車が来ることはない。崖下のダムを眺める。渇水で、ダムに沈んだ立ち枯れの木々が茶色い水辺に剥き出しになっている。はじめてここへ来たとき、まだ春で水も豊かだった。翡翠色の水面に顔をだす木々は美しく思えた。
体の疲れに負けて、路上に横たわり数分眠った。自然のなかに切り開かれた人工の路で、車や通行人を恐れることなく横になる、奇妙な感覚だった。ガードレールの下の隙間から谷の向こうの針葉樹林が見える、一面ビリジアンのグラデーション…。ここは一体どこなんだろうかと思う。
帰り道、道の真ん中で裏返しになっているひぐらしを見つけた。生きていたので、つまんで付近の木にとまらせておいた。

街のコインランドリーで洗濯を済ませ、ホームセンターでこまごまとした買い物をして帰宅した。既に夜の9時を回っていた。買ってきたゴーヤーで炒め物をつくり、ワインで夜を過ごす。
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by akiyoshi0511 | 2005-07-11 00:00 | monologue

北川陽稔のブログ http://www.akiyoshikitagawa.com/


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