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2006.1.31

ナムジュンパイクが逝った日。

午後4時過ぎ、都心で勤めるようになってからほとんど毎日通っている喫茶店に長居して、数時間前に既に心を決めしまったことに対し、どうやって自分を馴染ませるかを考えていた。煙草をひっきりなしに15本くらい吸って小一時間、外は小雨だった。戸外の夕闇を人々が行き交うのを眺めていた。コーヒーはとっくに飲み干していたが、なかなか席を立てなかった。
一見すると冷たそうにも見える痩身の店員が、水さしをもって近づいてきて、慣れた手つきでグラスを持ち上げた。ありがとう、と言おうとしたとき、彼がテーブルの灰皿を見て話し掛けてきた。

「大丈夫?随分吸ってるね」
「大丈夫です、いつもこれくらい吸ってしまうので」
 明らかに普段の2倍近い量なのだけれど、咄嗟にそう答えた。
 沸騰した頭の中のことなど、彼に説明できる訳もなく。
「そう、僕はこんなに吸えないからさ…心配したよ」

軽く笑って会釈を交わし、世間話をするでもなく会話はそこで終わる。
本当はそろそろ出ようと思っていたのだが、折角なので少し時間を置き、コップの水を半分飲んで更に2本の吸い殻を灰皿に加えてから、店を出た。金を払う時、どうもごちそうさまですと、普段より幾分丁寧な調子で言った。店員の「どうも」という応答も、いつもと同じ言葉だが少しだけ丁寧だった。
その店員は以前、僕がまだ残りが数本あるカールトンを忘れて店を出てしまった時、次の機会までそれを捨てずに返してくれたことがあった。「これあなたのでしょう。まだ少し残ってたから」と一言だけ添えて。そのときもそれ以上は話さなかった。代金を支払って店を出るときは、互いに少し丁寧に会釈した。

染みひとつない白いシャツに、黒いベストに蝶ネクタイという格好の、二人の壮年の店員。言葉少なに代わり映えのしない世間話をしながら、大してやる気もなさそうな調子で、しかし完璧に美味しいサンドイッチとブレンドコーヒーを、良心的な値段で出してくれる築地の店。所謂同時代の息吹を伝える純喫茶が、時代について行けず徐々に閉店して行くが、せめて、この店はこれからも続いて欲しい。グローバル企業の、徹底的に管理され効率的に抽出されるコーヒー、直営農場から搾取同然の値段で買い取った豆を、無菌室のような店で紙コップに入れて出すことが都会的とうたう店に負けないで欲しい。喫茶店のコーヒーくらいは、数字で全てが割り出されるような世界から距離を置いて嗜みたい。

常連客の心情やその日の気分を察して、静かに気遣ってくれる旧き良き本当の喫茶店。荻窪の店では時々モーニングに果物が追加されてたし、新宿の「ロロ」が営業を終えるときには、店員の一人が当時の僕のホームページを通じて、匿名で閉店日時をメールしてくれた。最後の日、終了時間まで店に残って支払いを済ませると、店員がレジの脇に全員並んで、目に涙を浮かべてお礼を述べてくれた。新宿西口の地下の空間、くすんだ赤のカーペットがとても懐かしい。函館の映画祭であがた森魚さんにはじめてお会いしたとき、彼とその「ロロ」の話題で打ち解けたのだった。「そうか、君はロロを知っている人なのか」という彼の言い方が印象的だった。

つまり、そういう場所なのだ。

70年代末、すべてが終わった後で生まれた僕らの世代が、己というものが確かに過去から地続きの時間を生きているのだと実感できる場所。空間は時代の証人なのだ。目まぐるしく変遷する東京においては、たかが30年という時の段差を感じることでさえ、不思議な奥行きを秘めている。

もしもアジェが現代の東京に立ったら、老朽化した灰色のビルディングや、古い喫茶店を好んでカメラで蒐集するのではないか。そしてこう言うのではなかろうか、「それらは既に古いが同時に本当はまだ新しい。そしてそもそも最初から古びてさえいたのだ」と。
高度経済成長の最中に生まれた喫茶店は、出来上がった瞬間から時の遡行(模倣)のなかに属しており、時を重ねることで本物の過去になってゆくアルカイックな空間なのではないか。そして、同時代というクリティカルな思想/思潮を看取った空間だからこそ、それは奇妙な憂いを帯びるのではないか。
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by akiyoshi0511 | 2006-01-31 17:36

2006.1.29

久しぶりに代官山を散策する時間があったので、2時間ほど周辺を歩き回る。ピーコックのある元・同潤会アパート付近、駒沢通り付近のマンションの路地など、写真を撮るでもなく。

仕事としての散歩ではなく、散歩としての仕事。
遊歩者になる時間は自分にとって大切なものだ。

坂道が多く、意外なところで視界が開けて、その眺めが魅力的だ。天気もよく、ちょうど午後2時の柔らかい冬の日差しが注いでいて、立体的な、東京ならではのパースペクティブが線のやわらかい彫刻のように見える。ソテツの木の下に日だまりを見つけて、ガードレールに腰掛けて一服する。

街を歩く女性たちは春を待つ蝶のように華やかだ。緑のある立体都市を行き交う鮮やかな色の人影。カフェの止まり木で幸せそうに語らう彼女たち。そういう光景が失われないうちは、世界は美しいと言って差し支えないのかもしれない。
男性は皆、どこか型抜きした影のようにしか見えないから不思議だ。浅薄に言うところの個性というものの虚実を、都市の女性が端的に象徴するというのはよく聞く話だけれど、実際それは男性のほうに現れやすいのかもしれない、とも思う。

起伏に富んだ地形の中にモチーフが林立し、ランダムに組まれた大小のタイルの隙間を目地が満たすように、木々や雑草が埋めている空間構成が、ごく自然に感じられ、都市としての東京の肯定的な一面を垣間見る。店舗もどこかあたたかみがあったり、価格が安めに設定されていたり、批判しがたいものがたしかにある。放埒でもないし若年層限定という意識も感じない。つまり、権力的なすべてはきれいに見えないところに片付けられて(隠されているというのでもなく)、優雅な、女性的な気配が表層を覆い、演出とは言い切れないなにか、もっとゆるやかな世界が表現されているように思える。
都市計画によって、ではなく、そこに滞在する個々の生活意思によって街が表現されているという印象。

例えば六本木にしても西新宿にしても幕張にしても、善くも悪くも象徴的な建築物を捉えやすい。都市計画自体がそれを印象づけるような構造になっているのだろう。象徴や中心というものがはっきりと分かる世界というのはどこか息苦しいものだ。意図されたなにかの中で個々人が無意識に生活を営むということへの違和感を、感じずにはいられないからだ。
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by akiyoshi0511 | 2006-01-29 00:00

2006.1.26

こんなシネカメラが出ていた。
http://www.shootfilms.co.jp/acam.html

本体内にミラーがないのが難点だがレンズマウントがCということは、例えばアンジェニューのファインダー付きズームレンズと組み合わせれば、最軽量、かつ一応現在形のフィルムスペックが成り立つ訳です。機能&使用レンズは限定されるものの、何よりaatonのminimaより安い。代理店もうたっているように業務で使えそうなシネキャメラの中では最安値だろう。

僕は機材には疎い、というか、用途と自分の身体性に即したものならなんでもいい、という感覚でカメラを選んでるけれど、例えばこれがあれば個人映画=ボレックス=画ぶれ=8ミリ並み画質という難点から解放される。純粋に優れた記録装置と言えそうだ。
無論スプリングクランク式ボレックスの機動性と自然な粒状感をもってしか表現できない、視覚に忠実な表現というのもあるのですが。
例えばメカスの「100のまたたき」(リトアニアへの旅の追憶)のように。

セミニシュケイの一連のシーンにおける卓抜の視線…かつて慣れ親しみ慈しんだ、何物にも代え難いほどに愛おしい風景と事物に、途方もない時を隔てて再び出逢うこと。何を、どのように視るべきかが、すでに全身に染み付いていながら、まるではじめてそれらに出逢うかのような衝撃さえも感じられるということ。メカスの深い哀しみと歓びは筆舌に尽くし難いものがあったのだろうが、間違いなく、撮影行為というもののひとつの極点と言えるだろう。

これは病で記憶を失った中平卓馬が、己の存在を手探りで求めるようにカメラを手にしたのとどこか似ている。事物/自己/撮影行為というものは互いに常に互いに干渉せざるをえず、摩擦を生みながらその答え(手応え)をもとめさまようものだけれど、メカスの亡命>帰還体験にせよ、中平氏の記憶の放逸にせよ、宿命にもたらされた、いわば撮影行為の彼岸へのプロセスである。

苛烈な実存のあとに訪れた、己が存在を無化するほどの、奇妙な軽さのなかで営まれる彼岸の撮影行為。カメラ/レンズというものの単純明快さは、そのような時にこそ真価を発揮するのではないか。
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by akiyoshi0511 | 2006-01-27 00:00

2006.1.23

調布にいつの間にかオープンしていたブックオフに立ち寄って買った本は、重信房子の「りんごの木の下であなたを産もうと決めた」と、星野道夫の(遺作となった)「ノーザンライツ」。

重信氏の本はパレスチナに関する私たちの「誤解」を僅かでも解消するために、娘に宛てた文面に仮託しつつ、その本心ではいまを生きる日本人すべてを措定してしたためている、のだろう。詩的で美しい文章でもあり、食わず嫌いせずに多くの人が読んでくれればいいのに、と思う。
大体重信房子=大悪党なんていう印象自体、日本の警察権力によるお仕着せのイメージに過ぎない(無論英雄的な見方も左翼サイドの願望に過ぎないけれども)。重信氏は矛盾に苦しみながらも理想を生き抜いている、ただの一個人である。

そして「ノーザンライツ」の一節。

「朝起きて、この窓から、コパック川の原野の美しい季節の移り変わりを見ていると、自分はもうずっとここで生きて行くんだなと思うんだ。いや、ずっとそうしてゆきたいなと……そんな何でもないことから自分はもう離れられないんだよ」

これはアメリカ本土からアラスカへ移住した人物の言葉だが、全編を通してこのような、余計な言及を必要としない、人間のありのままを伝えるかのような美しい章句が鏤められている。声高に訴えることはなくとも、星野氏の営為は間違いなく「見ること」「知ること」「考えること」の本質に踏み込んでいる。アジェがパリを視たように、ザンダーが人間を見つめたように、少なくとも同じ深度で星野道夫は自然を見据えている、と思う。

・・・

ところで、今年の調布映画祭でも再上映されてたみたいです、例のアレが。
過去の経験に支えられて今があることは疑いようもないが、今は今歩むべき道を進む。
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by akiyoshi0511 | 2006-01-23 06:49

2006.1.12

年末から引き摺っていた案件が片付いた途端、風邪の初期症状。昨年から季節毎に風邪をひくようになってしまい、しかも毎度重症なので困りもの。

しかしながら風邪で休息=内容を気にせずゆっくり本を読める日でもあり、友人から借りた川端康成の「掌の小説」と、どこかで100円位で買った藤原新也の「乳の海」を交互に読んでみた。藤原氏の著作はなんであれ藤原新也という存在自体が価値なので、レトリック云々は置いといて素直に拝読することにしている。真に己に厳しい者の叙情や批評というのは、時としてその正否を問わずとも信頼に値するもの、だと思う。そういえば先日友人に指摘されたのだけど、本棚の脇に無造作に積まれている文庫本のなかに川端作品が散見される、つまり気付かぬうちにけっこう集めていた。「みずうみ」とか「水晶幻像」などの実験的な(というかあの異常者すれすれの粘着質な)初期から中期の作品が自分は好みのようだ。

休み休みではあるものの、写真とテキストの編纂も進めている。整理すべき情報が多い。ノンカテゴリーの活動というのは己の情報をいかに整理・編集して世間に伝えるか、にかかっているという側面がある。あたらしい仕事や助成や出資を得るためにもそれは重要なこと、なのだが、そもそも、写真の、映像の、テキストの、個々のタスクが折り重なって、その先に最終制作物(論理の実践の集合体)としての長篇映画である。今年は蓄積した個々のタスクを中間発表としてではなく独立した制作物として、まとめあげたいと思う。その制作物が、見出した道筋から外れていなければ発表する価値はすくなくともある。それらの作業は一度映画から分離・自律した上で落とし込まれ、終局においては再び映画のプロセスに含まれることにもなる。

長篇映画それ自体のプレゼンリール制作や、諸処の手続きも少しずつ進めている。2月末にはなにかしらのかたちでまとまるだろう。それに先んじて仲間が九州から出資の返答を持ってくる予定ではあるものの、正直あまり期待はしていないし、ダメならダメで気長に当たるのみ。まだ去年の撮影時の清算もできていないので、自己資金で撮影を再開することは不可能である。

昨日は寒さが少し和らいでいたので、通院がてら多摩川河畔まで歩いた。2年前まで、殆ど毎日のように歩いた道を久しぶりに辿ると、風景は細部が変化しているがそれで却って郷愁を覚える。生まれ育った土地から切り離された者が己と向き合う場所として、多摩川というのはいつも穏やかな情感をもたらしてくれる気がする。
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by akiyoshi0511 | 2006-01-12 21:08

2006.1.6

年末からここまでの流れの中では、29日に都内のスタジオで映画の素材をテレシネ(ビデオ化)させていただいたことが大きな進展だった。スーパー16で撮影したフッテージをHDCAM(ハイビジョン)にテレシネし、さらにオフライン&プロモーション用にDVにダウンコンバート。これでやっと次なる作業に入ることができる。このまま本編として路線変更せずに進めるか、プロモとしてまとめるかという迷いも消えた。やはりプレゼン資料だけに止めるのは惜しい、しかし企画そのものの内容において、このフッテージはすでに2年前に書き上げた脚本を元にしているものであり、技術的にも、また外部の状況においても、無効とまでは言わないものの大掛かりな調整が必要になるのは確か。

重力の外でモノをつくっても意味がない。重力に耐えながら沈着にその質を見据え、歴史認識に基づき、問うべきものを然るべきときに社会に問う、という意思に支えられて行動している。言い換えれば、その意識さえ失わなければ手遅れということは常にないとも言える。仮に映画と無関係なところで他者に罵倒されようが揶揄されようが、それは重力のうちにも入らないノイズに過ぎない。制作の妨げにさえならなければ、意に介す必要もない、だろう。
他者を批判するのではなく、人間対人間の(あるいは人類と人類以外の)疎外の仕組みを根底から批判/批評の俎上にあげること…。

読書は引き続きベンヤミンとその関連書、そしてジャン・ボードリヤールを辿りたいと思っている。近代も脱近代も、マルクシズムの有用性もその限界も、構造主義の変遷も自分のアンテナを頼りに実感を伴うところからひとつひとつ切り崩して咀嚼するしかない。その代わり、インデックスに止まらず本当の理解に至るまでそれらと斬り結ぶこと、を毎度課しているつもり。

独善に陥らないことと、かつ、過度の自己否定もしないこと。
現実の社会活動の中で、思想を磨き、紡ぐこと。
歴史への参画(を標榜すること)の代償に個を放棄するのではなく、個をぎりぎりまで削ぎ落としながら表現行為に「限定して」個としての責任意識を堅持し、世界との直接対話の一瞬にすべてを賭ける、という営為の根本に修正は必要ないだろう。生活というのはただただ、そのために切り拓かれていくべきものである、という考え。
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by akiyoshi0511 | 2006-01-06 20:59

2006.1.5

あけましておめでとうございます。

4日は調布新居にて、関係者諸氏をお招きしての新年会というものをやりました。実質12帖くらいのスペースに最大時で24人が座って飲食&対話。ひとり半畳ぶんのスペースしかない訳です。無理も承知の設定でしたが今回の会、なんだかとても良いものだったと思います。これもひとえに集まってくださった方々のお人柄と、裏でいそいそと走り回り、料理を用意し、会計係をしてくれた仲間達のお陰です。ありがとう。お陰で、今回は僕自身もじっくり楽しめました。

雑談の中から気がつくと、仕事とも趣味とも限定する必要のない企画の模索をしていたり、写真のプリントを見せ合ったり、映画制作について語ったり、ビジネスに繋がりそうな顔合わせもあったり、深夜帯は予想通り下ネタ頻出地帯も…。長丁場でしたがいろんな楽しみ方ができる、良い新年会だったです。会合というのは走り出してみなければ分からないのですが、今回はホント絶妙なところに落ちたような気がします。

個人的に年末年始が波乱含みだっただけに、やっとこれで改めて新年を迎えられたという気がしています。みなさん、本当に来てくれてありがとうございました。

本年も宜しくお願い申し上げます。
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by akiyoshi0511 | 2006-01-05 20:58

映像作家・写真家 北川陽稔 http://www.akiyoshikitagawa.com/


by Akiyoshi Kitagawa

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