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2006.3.10

ジル・ドゥルーズ著「スピノザ・実践の哲学」の一節。

『このつましい、無一物で、病にも蝕まれていた生が、この華奢でひ弱な体が、この輝く黒い眼をした卵形の浅黒い顔が、どうしてこれほど大いなる生の活気に満ち、生そのものの力を体現している印象を与えるのだろう。どのようなかたちで生きようと、また思惟しようと、つねにスピノザは積極的・肯定的な生のイメージをかかげ、ひとびとがただ甘んじて生きている見せかけだけの生に反対しつづけた。』

これはスピノザの生そのものをくみとった言葉であり、本の序章にあるように、これに感動することとスピノザの思想を咀嚼することは限定された関係しか持ち得ない。即ちその文脈でスピノザの思想を理解することはできない、はずである。

それでもたったこれだけの言葉に、涙が込み上げるのはなぜか。

「哲学を実践する己自身も含包し哲学を捉える」という理解ありきのこの文節。他ならぬドゥルーズだからこそ、スピノザそれ自体をモティーフにこれだけ感動的な文節を書き起こすことが出来るということである。また、あまたの現実と戦いながら哲学に触れた(触れようとする)意思を持つ者にこそ、強い力で語りかけてくる言葉だということでもある。

・・・

さて、4月から生活が変わるが、差し当たりはとにかく体が続くことを祈るのみ…。長篇制作の凍結とともに、それまでの方法論で見出し得た可能性を一挙に失ったことは事実だけれども、中断しても中止する訳ではない。これを転機と考え、残された時間であらん限りの生を生き抜くつもり。
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by akiyoshi0511 | 2006-03-10 20:03

2006.3.6

先日、仕事の昼休みに図書館へ行って、10年ほど前のユージン・スミスの個展目録を手に取って捲っていた。その中の一点に、水俣病の元凶となったチッソ水俣工場の排水口を撮影したものがあった。工場に許可を取ったのかは分からないが、直径数10センチの排水口から川へ向かって毒素が流れ出るさまを、真上から見下ろす視点で捉えたもので、それほど大仰なものではない1本の排水管、そこから流れ出る白濁した排水、そして若干アウトフォーカスになっている眼下の川面に、白濁した水が蛇の道のように幾筋も続くさまを、全体として非常にクリアに、率直におさえた写真だった。
それが排水の写真であることは見紛うこともないのだが、なぜかその画面は、まるでキノコ雲の写真の陰画か、それと相似形の写真のように見えた。A4サイズの写真集に小さく印刷された画面でさえそのような物々しさを放つのだから、恐らく展示されたプリント(展示サイズは分からないが)は相当の迫力をもっていたはずである。

原子爆弾の写真には文字通りの物理的スケールがあるが、その排水溝の写真は、それ自体はただの、錆び付いた数10センチの金属の配水管であり、また吐き出される汚水でしかない。決して演出的とは言えない(大仰に撮ろうと思うなら他に方法があるはずである)一葉の写真が、まるでキノコ雲と相似形にさえ思えるようなアウラを放っていたのである。

鑑賞者のなかで無意識に発動する、写真と外部記憶とのモンタージュ効果。水俣と原子爆弾は本来結びつかないが、これは人間による人間自身に対する暴力への畏怖という、無意識下の河によって一続きにもなりうるもの、なのだろう。つまり水俣を撮ることや、その写真に共鳴することはイデオローグとは無関係な営為ではあるが、そこに根ざす心理は、戦争を嫌悪したり、理不尽な支配関係を無視できないという想いと、やはり地続きなのである。故に、排水溝から流れ出る汚泥にキノコ雲の陰影を想起する、というような作用が起こりうるし、それは例えば水俣を撮ることの、実際以上の写真的成果でもあるのかもしれない。

ちなみに同書の後半には、ユージン・スミス自身の写真ではないのだが、「ユージン・スミス賞」の過去受賞作品集が収録されており、そちらもすばらしい写真が多かった。有名なところではサルガドなどもその受賞者なのだが、最も僕の目に留まったのはレティツィア・バターリアという人物の「シチリアのマフィア」という写真であった。恐らくノーファインダーで捉えられた、シチリアのマフィアたちがたむろする危険な街区の、一枚のスナップ写真。複数の人物が構図に含まれているが、その誰もが緊張した面持ちでありカメラを無視している中で、ひとりの幼い少女がまっすぐに、ちょうどカメラマンが腰あたりで構えたレンズに向かって、ほぼ同目線で明るく微笑んでいる写真。危険な土地に生きる少女の逞しさを描く、というものではなく、人間の営みの禍々しさの中で、少女がまったく透明な視線でこちらを見ているということに、すっと脳裏の霧が晴れるような印象があり、それだけで一瞬、涙が込み上げた。
「世界を透明にし得るまなざし」というのは、撮影者自身の選択眼や撮影姿勢を示すだけでなく、それが被写体の側から立ち現れてくるものという意味でもあり、またその両者の均衡から成り立つということをも含んでいる。いわば三位一体の写真、しかもそれと意図せずに生まれた、偶然ではなく宿命に導かれた三位一体の映像こそが、もっとも力強い、世界を透明にし得るまなざしなのである。
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by akiyoshi0511 | 2006-03-06 19:07

映像作家・写真家 北川陽稔 http://www.akiyoshikitagawa.com/


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