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TMX_1231

2006年は無人のサンリオピューロランドの煌煌と光るネオンの印象で終える。
今日はこれから調布の喫茶店でひとり納会。その後は年をまたいで徹夜作業。
そういう年越しも悪くない。

来年はベッドルームでの作業に立ち返る。文字通りすべてを一巡した自分の、最後の場所やはりここなのだと信じながら、穏やかにカウント0を迎えられたら…と思う。
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by akiyoshi0511 | 2006-12-31 16:52

12月2日についての続き

編集仕事が続いてなかなか自宅兼作業場を出ないので、作業の合間にいろいろとデジタルな試行錯誤をしている。monome+arKaosは稼働したので次は例の旋盤。例の、と言ってもべつに誰かと示し合わせた訳ではないけれども、到着まであと数日ということで、とても待ち遠しい。これで脳内チャンネルをPCのキーボードからも鍵盤の配列からも自由に、ダイレクトにレイアウトし、かつ個々のフッテージに対しても、アプリケーション内蔵エフェクトの順列組み合わせに陥らないコントロールが可能に…なる予定。全てがうまく稼働すればの話。

64個のボタン×64個のノブ。5Dで撮った写真をライブなものとして空間に展開するにはこの方法しかないなと、先月あたりからずっと考えていた。例えばアラーキーならアラキネマがあり(これは荒木氏の湿度の高い写真だからこそ体現されうる。そしてあのオペレーションを弟子が行っているのをビデオで見た時、思わずベンダースの「都市とモードのビデオノート」のラストシーンを思い出した)、宮崎淳氏ならボレックスの間欠撮影である(写真を意識しながら映像そのものの組成に根ざすなら、あの考えはシンプルで正しいと思う)。では自分は…といろいろ逡巡した末に辿り着いたこの方法。出力されるイメージの質感や性質は先日ライブ映像の機を得たことで、実験段階ではあるが自分なりに納得している。あとは出来る限り処理をリアルタイムにすることと、オペレーションを空間に結びつけてゆく作業ということで、ライブに限らずこれらの機材と生成されたイメージは活用したいなと思っている。写真を精査するところで最大限の注意力をはらっている(つもり)なので、プリント以外のこういった展開においては、逆に多少は積極的になれる気はする。

デジタル写真=打ち消しのイメージということについて、いつかこのブログでも触れた覚えがある。その後、実際に写真をフルデジタルで扱うようになって、ある密度以上に凝集されたデジタル写真に新しい強度と深度を体感した(ここで考えを巡らせば写真そのものについてのあらたな考えが想起されうるが、それはまた後の作業になりそうである)。それを低解像度のビットマップのノイズ(としか言えないもの。情報の粒子そのもの)にまで還元し空間に解き放つ。プリントの表現とは違う様式の、自分の写真の展開方法(展示方法ではない)を模索し、一言で表現すればスチルイメージと観衆との一瞬の邂逅、というようなものを考えたのだった。これは自分の、50ミリレンズでまっすぐに対象物を捉える写真のスタンスとも密接な関係がある。
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by akiyoshi0511 | 2006-12-18 01:35

TMX_1215

久しぶりに6時間寝る。
低気圧が去り空気はかぎりなく透明に。
こういう日、魂は多摩トリクスの遥か上空を飛んでいる。
捏造されたトポスに対置する懐疑は同時に己の内的トポスをゆさぶる憧憬でもある。

多摩センターのイルミネーションの陰にはヴァルター・ベンヤミンがいる…。
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by akiyoshi0511 | 2006-12-15 10:12

12月2日の映像について

撮りためた写真をデジタル加工してクラブ空間の映像素材に、と書くといかにも安直だが、今回は少なくとも映像の強度においてその限りに収まらないイメージを紡ぎだすことはできたと思っている。音像と映像の質感の符号は及第点と言えそうだが、音楽のコンテクストやリズムとのシンクはまだ課題を残す形で終えた(これはMIDIへの対応がまだ完全ではなかった=通常のミキシングの延長上にあった、ことにも起因するし、そもそもライブの時間軸自体がかなり久しぶりの体験だった)。
イベントとその音楽に感謝しつつ、何らかのかたちで今後もアプローチを続けたいと思う。

すべての起点に写真に向かう姿勢がある。そして撮影から出力まですべてのフローをデジタル化したことで物理的な垣根やタイムラグはなくなった。原点にある写真がしかるべきまなざしで撮られていることと、デジタルというものが孕む本質的な「構造と速度感」を冷静に対象化できていれば矛盾は生まれないはず。要するに、写真の出力の仕方を拡張するという考えで落とし込んでゆく。プリントをホワイトキューブの空間でスタティックに見せるのも、ビデオのタイムラインに並べデジタルスクラッチし、MIDIのコントロールを介してライブ空間に展開するのも、要は出力方法の違いと仮定を、する。少なくともパフォーマンスを目的化して行うのではなく、「写真としての美術」としての視野で行うこと。

速度、というものが自分のなかで大きな命題になりつつある。行動の速度、情報処理の速度。制作プロセス上のタイムラグをなくすことが(これだけで切り口はいろいろなんだが)、時代に迎合するという意味あいではなく、加速する情報の渦を泳ぎきり、世界の外部からではなく内部にあって真っ向から向き合うという態度の問題として捉えられるようになった。この10年で完遂された急激な情報処理技術の進歩によって、ひとつの国が滅ぶのにさえ一週間とかからないような時代を人類は迎えてしまっている。ボードリヤールの言葉を借りれば「歴史は終わってしまった」ということだ。この状態と斬り結ぶには、少なくとも自分も世界と同じ早さで走っていなくてはならない。「今」というものは光の早さで処理されてゆく。同様に「今が孕む問題」も、次々といち情報として処理されねつ造された定位置に片付けられてしまう。デスクトップの片隅に保存されたまま二度と開かれることのない、過去の仕事の書類のように。
ベンダースがHDの民製機で「ランド・オブ・プレンティ」を撮ったのは、予算の問題だけではなくそういう使命感を自覚してのことだったのではないか。
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by akiyoshi0511 | 2006-12-04 04:56

映像作家・写真家 北川陽稔 http://www.akiyoshikitagawa.com/


by Akiyoshi Kitagawa

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