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冬の森に集う人々

夏でさえ見所の少ないこの原野に、零下10度を下回るこの日、10数人の大人が集っていた。

巨木や大滝がある訳ではない。
しかしここには、心豊かに生きて行くために不可欠なものが揃っている。

豊富な伏流水と森。
氷結しても、冬枯れていても、足下や頭上から、それらの力を感じることができる。
そのエネルギーの直中にいることが無上の歓びだからこそ、零下10度の森を臆せず歩くことができる。

あるいは、僕のような未熟者の場合、そうであろうと努めることはできる。
いずれにしても、有難いことに心身は前を向く。

・・・

都市に戻ってからも、その感覚は持続する。
あるいはそれが種となって、身体が身体として目覚めようとしているのを、感じ始める。
寒さの中で酷使したのに痛みはなく、もっと動かしたい、動かすべきだ、という感覚に満ちている。
自分の四肢が、「些末な悲嘆など棄ててしまえ」と、覚悟を促してくれているようだ。

その声に導かれるように、翌日から数年振りに朝の運動を始めた。
僕の新しい心はきっと、荒漠とした原野のどこかでこの身体を待ち受けているだろう。

・・・

昨夜、生温い酔いの中で、本箱の中からルソーのエッセイを手に取りかけた。
途中まで読んで、あまりにもつまらないのでそのままになっていた晩年のルソーの肉声。
冬の原野で読む退屈しのぎの本は、この寂しいエッセイにしよう。

3000円のテントで酷寒の夜を凌げるのか分からないけれど、それも含めて、もう一度自分を計るべき時が来ているようだ。
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by akiyoshi0511 | 2009-01-31 15:07 | monologue

春の幻

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この数日、札幌は春のような陽気だった。
あからさますぎるこの環境の変化を思うと、正直空恐ろしい気もする。
が、それでもやはり、冬を忘れるほどの陽気は嬉しいもの。
路面が出ていたので、今日は久しぶりに自分の車でウトナイまで走った。

この2週間で、ウトナイへ3回赴いたが、樽前山、トキサタマップなど、これまでレンズを向けなかったものに、意図的にレンズを向けはじめている…しかもフィルムではなくデジタルで。
まだあまりまじめにカメラは構えていないのだけれど、ある種の下見をはじめているようなのだ。

「…ようなのだ」ってのも無責任ながら、自分のことなんて、そんなものでもあったりする。
自分の中にある純粋な気配は、あまり強張って自分を見据えていると、見えなくなるもの。

視野を拡げて、もう少し、この自然との距離を詰めてみたい。
これまでのシリーズは、あと2枚。
これはもう何を撮るべきか決めていて、その時が来たら、シャッターを切る。
それだけで、終わる。

いつものことだけれど、ひとつの取り組みが佳境をすぎると、オーバーラップして次の取り組みが始まる。
どうやら次も、場所は他ならぬこのウトナイらしい。
舞台は同じだが、姿勢は変わる。

次はおそらく、はじめての「なにも構えない」取り組みだ。
レンズも、古めかしいマニュアルから、オートフォーカスへと移行する、予定である。
そして単玉を棄て、ズーム3本というスタイルになる気がしている。

要するにはじめて、「普通のカメラマン」に徹する。

自己のパースペクティブに透徹して事象を「見据える」ハッセルではなく、
絵画のように風景を「描く」ジナーでもなく、
テンポよく切り取り、森や原野の変化に即応しながら、戯れる撮影。
危険を察知し、時にはすばやく走り…。

早く取り組んでみたい。…というか、取り組めれば良いのに、と思う。
これまでも、ここからも、見定めたものにまっすぐに向かうことは、僕の唯一の生の歓びであり、生を継続する理由なのだ。

足が止まれば、そこで終わるだろう。
原野を駆ける鹿と同じに、四肢が凍てつき動きが止まれば、それはもう「いまわの際」だ。

・・・

向くべきところは向いている。
この世の中との関わり方は、まだ定まっていないけれど、自分自身の抱えている大きな夢や、近く、あるいは遠くから吹き込んでくる前向きなエネルギーの、落としどころだけは、なんとしても見つけよう。

世界は今、大きく変わりつつある。この流れそのものは、随分前に予見されていたはずだが、ここまで急激なものだとは、誰も思っていなかったのだろう。

しかし、だからこそ今、元来「こちら側」からものを見据えるわたしたちは、焦ってはいけないなと。
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by akiyoshi0511 | 2009-01-29 22:31 | monologue

川・魚・筏


初夢の一幕は、雪の薄らと積もる源流の森で、樹々にイルミネーションをともして友人たちと眺めている、というものでした。
年の暮れにおじゃましたアトリエのパーティが、イメージの源泉でしょう。

森を熱気のような霊魂が飛び交い、霊魂に自分の背中を小突かれて、そこで夢は終わり。
背中は、目覚めてもしばらく疼いていました。

美々川の源泉から湿原を経て勇払原野に至り、静かに拡散し果てる流れ。
これは人生そのものや、今の自分の凝集された、かつ長期的な仕事の組み立てに似ている気がします。

人は一本の川であり、川に泳ぐ魚であり、川を下る筏でもある。
終焉の一点へと向かう動きのなかに、様々な視点がクロスオーヴァーして、自分というひとつの宇宙を形作っているのだと、ふとそんなことも考えます。

悠々と構え、一分一秒も無駄にしない。
…今年は、そういう姿勢で行こうと思います。
同じ姿や、同じ心情というのは、実は一瞬たりともないのだから。

ひとまず、5月11日の30歳の終わりの瞬間までを、一区切りと思ってがんばって行きたいと思います。

本年も宜しくお願いいたします。
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by akiyoshi0511 | 2009-01-06 03:47 | dialogue

映像作家・写真家 北川陽稔 http://www.akiyoshikitagawa.com/


by Akiyoshi Kitagawa

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