人気ブログランキング | 話題のタグを見る

「疎の場所」から

「疎の場所」から_f0048583_14345249.jpg

過去の文脈とは異なる作品制作について考え始めてから、もう5年以上経つ。
プロトタイプのようなものを初めて小さなギャラリーショップで公開したのが2年半ほど前、その後は一年前に制作のリサーチとして数日屋久島に滞在して写真を撮り、以後は手が止まっていた。

少し話が逸れるけれど昨年の1月初旬、中国の南京でアートプロジェクト(舞台映像)を担当するため下見に行って、帰国して一週間でコロナ禍が始まった(今思えば顕在化する前に戻れたことが幸運とも言える)。言わずもがな中国の仕事は流れ、もろもろの混乱を潜り抜けて10月に二人展に参加した。春の外出自粛期間にプランを考え倦ねた末に、件の新たな文脈の作品ではなく、7年くらい前に撮りはじめて途中で止まっていたフィルム写真のシリーズと、その続編を出品することに決めた。
それはあらゆる想定を越えたコロナ禍のデストピア的風景への情景反射であり、会場となった(空間自体が多くの作家の痕跡で成り立っている)context-sへのリスペクトでもあった。世界そのものが静止状態ゆえに、「立ち止まる」ということが特別な意味を持つ、そういう年だったことは間違いない。

久しぶりのフィルムでの撮影はほとんど無意識と戯れるような行為で、やはりデジタルでの構築的な作業とは全然違う。しかしそれは作者のプロセスの問題に過ぎないし、未だにフィルムが聖域だと信じている人たちのことは理解できない。大事なのは何に突き動かされてどんな画像なり造形物が生じたか…環境と五感とその奥の回路の関係だ。わたしは写真で空想を描くつもりはないし、何らかのイデオロギーを振り翳すつもりもない。少なくとも、それらはやりたくない。

他にもこの小規模な展示には個人的にいろいろなものが詰まっていた。過去の自分と今の自分の邂逅、中村眞弥子さんという光を描く画家との邂逅、そして石神照美さんとの再会。

今年の1月には、札幌のSCARTSのプロジェクトに参加した。こちらは職業人として傍らから状況を記録するスタンスだった。それなりに体を張ったとは思うけれど、ここで何か新しい取り組みを行ったわけではない。
「生態学」という分野は、自分の長い新作準備期間の情報ソースと多くの点・線・面で繋がっていて、この上なく楽しいものの自分自身の作品ではないという、不思議な前提と微妙な距離感を意識しながらも、ひとまず実制作では小さな壁を一つ越える、…そんな取り組みになった。
冗談交じりで関係者の作家に「あなたは希少種」などと言われながら、兎にも角にも、どこにでも生存できるわけではないけれど、特定の状況では特別に機能する個体でありたいとは思った。
こういった取り組みに参加して、何日も徹夜して制作に臨んでしまうのは、やはり作品を作るという営為が未だに自分にとっては最も重要な、生きるために欠かさす事ができないミッションだから。
たとえ仕事の制作が好調でも、そんなものは何かと何かの組み合わせが変化すれば一瞬で消し飛んでしまう世界なのは承知している。社会で生きることはそもそも不確実性の波乗りだと思う。しかもその波乗りには持ち時間の(つまり起きている時間の)大方を費やすことになる。止まれば、沈む。

一日の全てを読書に費やし、誰が読むともわからない文章をしたため、それを咀嚼し考えるという、ある種のライフワークなり意識のライフサイクルを失って、もう10年以上経っている(それがどれほど贅沢な日々だったか、30代前半までの自分に言い聞かせてやりたいが)。言い換えれば、制作のための情報を集め、煮詰め、何か未知のものとして異化(羽化)するまでの工程が、出口の見えない間延びしたものになった。作家としての意識は時空の引き伸ばされた長屋のような場所に安置されていて、さらにそこに立ち入ることができるタイミングも時間も限られていて、日々少しずつ蒐集した情報をそこに置きに行く…といった具合。
蓄積した情報は風化しないし、腐らない。必要なのはそれらの材料と向き合い火にかけるだけの熱量が自分の思考に戻ってくることと、その作業に集中する時間をセッティングすること。それだけだなのだが、それがなかなかできなかった。
その「長屋」という空間はウェブに実在していて、映像制作の業務管理で使用しているビジネスチャットツールの片隅にある場所を示す。一年を通してあまりにもそのツールを使用する時間が長いので、いつの間にか作品のメモや参考URLも、レシピや日記の断章さえそこに仕舞い込むようになっている。
自分だけのグループを作り、そこに制作の関連情報やアイデアを書き溜めているものが、結実できないままもう5年以上経っている。断続的に更新され、意識されている作品制作のためのノート。タイムラインに放り込まれ蓄積されていく情報や制作メモの序列は、まさに長屋的だと思う。

今年はその新作のまとめに打ち込むことに決めた。
長屋の鍵を開けて決着をつけるタイミングは、こうして突然来る。

# by akiyoshi0511 | 2021-06-04 23:14 | monologue

近所の自然

近所の自然_f0048583_06540291.jpg

土曜の川歩きで拾ったもの。
今まで自分で見つけたツノの中で、一番整っていて立派な気がする。

この一本のツノを織り上げているアルゴリズムとはなんだろうか。あるいは鹿という生き物の身体を、様々な機関によるアルゴリズムの総体として考えてみたくなる。
例え身体が同じDNAプログラムで成り立っていても、フィールドで課される条件を経て、選択や結果は変わる。ツノがどこで落ちるか、鹿がいつまで生きるかと問うたら、そこには予め定められた値というものがない。

無数の、時間的・空間的ノイズと向き合ううちに、結果はどこまでも多様化していく。水の流れが決して同じ紋様を描かないのと同じように、同じ草を同じように踏む鹿は、この世に一頭としていない。

沢から持ち帰ったツノを眺めながら、内省や信仰とは異なる意識のあり方を考える。
ひとまずそれを、生態の実存、あるいは生態学的実存とでも呼んでみる。

# by akiyoshi0511 | 2020-05-22 19:29

ブロック、ノート、そして窓辺_f0048583_04341237.jpg


余白のある空間で、たとえ短時間でも腰を据えて考え、手を動かして、組み上げたものを批評的に眺める。そして、それを日々反復すること。
実のところ、この原点は幼い頃のブロック遊びにある。

在京の頃、つまり20代を通して、僕は散歩と喫茶店通いに明け暮れ、ノートの紙上で同じようなことを毎日2時間以上はやっていた。
それは映画になったり、ならなかったりしたものだ。心地よい片思いをくれた先人たち。ベンヤミンやボードリヤールの断章を映画に「翻案」していた懐かしい時間はもう戻らないだろう。
昔も今も、組み上げたテキストと身辺の素材を交えて鑑賞に能うものを構成し、無名のbricoleurとして生きている。「身辺の素材」は、たまたま目に止まった木片のこともあれば、川崎のコンビナート群の夜景ということもあり得る。それは多分、その時どきで置かれた自身のプレゼンスの違いでしかない。

眼の前の光と環境を読み解き、点を掴み、線を引き、その流れを辿る。そして、心身に以前とは異なる視覚の論理が宿り始めていることを確認する。次はこの反復の中で、全ての事物に介在するパタン(異なるものの間での共振)が炙り出しのように現れるのを待つ。



# by akiyoshi0511 | 2019-05-15 04:45

作品掲載

厳冬期の根室ロケ前半戦を終えて東京に移動しています。
AIRDOの機内誌2月号を開いてみると、確かに自作が掲載されていました。
この機内誌は、エア・ドゥおよびANAとのコードシェア便の機内や、空港カウンターで手に入れることができます。
  
どこにも属さず、特定界隈と連むでもなく、近年は特に淡々と東京と札幌を行き来しながら仕事をして..そんな生活の中で毎月のようにエアドゥに乗ってきたので、今回の機内誌への近作掲載は、なんだか移動の労力を報われた気もします。
このシリーズは、写真界隈の権威ある方々にはすこぶる評判が悪く、自分よりも若い世代には比較的受け容れられているものです。作品は結果が全てと言うは易しですが、その「結果」とは果たして誰が決めるものなのか。風評に左右されずに、これからも淡々とやっていきたいと思います。

この現実という広大なフィールドで、あなたやわたしはどんな情報を受け取り、自らの次のアクションを紡ぐのか。
たった一人で、裸身でその場所に立っているという、フラットで無防備なところから全てがはじまります。
そこからどんな一歩を踏み出すか、判断するのも、結果を受け止めるのもあなたやわたし自身です。
 
この数年は映像仕事にかかりきりで作家活動の方は休業していましたが、その狭間で国内外の作家のインスタレーションなどをリサーチしつつ、自分自身も作品制作の思考回路を根底から組み直していました。
昨年は、ほぼ非公開の形で試作での個展を試してみて、ご招待した方々との対話で生まれる今後への手がかりや、少し遠ざかっていたアート界隈の知人とのコミュニケーションの楽しさも思い出すことができました。

少しずつ眠りから醒め、少しずつジャンルレスな活動に戻り、そしてこれから少しずつ、仕事と作品の両建てに戻ります。
10代の頃のコンピュータミュージックに始まり(Warpにデモテープを送るくらいには本気だった)、20年かけてほぼオールジャンルを渡り歩いてきましたが、これからやっと自分にとっての「Freischwimmer」が始まる気が。
これまでは過去の異ジャンルの成果は意図的に切り捨ててきましたが、分断してきた時間を一本化してもいい時期。言い換えれば、もうそろそろ作家としては仕上げの時であり、終わりの始まりなのだと。

作品掲載_f0048583_20032637.jpg



# by akiyoshi0511 | 2019-02-13 17:33 | information

2019

2019_f0048583_13165515.jpg

あけましておめでとうございます。
弊社メンバーは各自年末年始も稼働していましたが、正式には本日7日から業務開始。初日からいきなりロケなので、今年は早い時間に年賀状をアップすることになりました。
 
昨年はこれまでの体制を全面的に見直し、レギュラースタッフを含めたメンバー各人に現場の責任を委ねることで、コンテンツをテンポよく仕上げる仕組みに移行してまいりました。
動画というメディアのあり方が大きく変化し、普及も加速した2018年、弊社の制作も時流に合わせたスタイルに変化したと言えるかもしれません。
 
一方では、チームで時間をかけて作り込む案件があったり、まるでロードムービーのように海外ロケに出かける機会をいただいたり、制作期間は一瞬でもクリティカルな取り組みもありつつ…
例年以上に充実した一年だったように思います。
 
これから年度末にかけて、まだまだ重要なプロジェクトが並走しますので、気を引き締めて取り組んでいきたいと思います。
それでは、本年もよろしくお願い申し上げます。




# by akiyoshi0511 | 2019-01-24 13:17 | information