過酷な旅の途上にあるとき、感傷は癒しでもあるが、同時に歩みをも止めてしまう

昨日の夕方は恵庭近郊で撮影した。20分露光。無事に写っていれば今年度二枚目のネガ。やはり快晴の日の薄暮は色がいい。

今日は雨なので午前中は布団の中で読書。久しぶりに読む日本の小説は読みやすくて時間を忘れる。そして一気に読み終えた後で、楽しんでいる間に自分自身は相応の時間を失っていることに気づく。感覚が剥き出しのまま取り残されて落ち着かない。
日常生活にふと立ち現れる感覚と、小説の中で物語られる感性の共鳴。本来はそれが読書の醍醐味で、もっとも幸福な時間でもあったのだけれど、いつの頃からかこの共鳴は少々つらいものになってしまった。理由を考えたくはないけれど。

それにしても、好きな読書に時間を割けるのは事実上GWと年末年始だけという、今の仕事の辛さ…久しぶりに未読の本が3冊以上たまってしまった。


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http://www.visual-activist.com/akiyoshikitagawa
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# by akiyoshi0511 | 2011-05-04 13:57 | monologue

夕闇の撮影を再開する

土曜日に今年の撮影を始めた。
薄暮の中、30分かけてネガを一枚露光。この積み重ねだ。

昨年のように一カ所に集中的に通うことはできなくなくので、別のアプローチで、同じ結論に至るようなプロセスを試している。遅かれ早かれこのやり方に切り替えるつもりでいたこともあり、とくに問題はなさそうだった。

一方でこの連休、上記の撮影も含めてやらねばならない作業は山ほどあるのに、会いたい人がたくさんいたはずなのに、仕事上の悩みを引き摺ってしまい、すっかり心が硬直している。

気分転換ではなく、根本から気持ちを転換せねばならないと思う。
間違いなく追いつめられた状況だが、光を見出せるか。

朝から青山監督の「EUREKA」のラストを観た。
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# by akiyoshi0511 | 2011-05-02 09:58 | monologue

4.10の呟き

1
やはり石原都政があと4年続く…。変わらない日本、変わらない東京、変わらない利権構造。過酷な現実。 無論、道知事も変わらない。北海道にとってかつてないほどに大切な時期にも関わらず、中央の右へ倣えの道政が続く。結局、民意なんてものに力は与えられておらず、私たちは耐えるしかないようだ。

2
むしろ、この国家が自壊に向かっていることそのものが、民族の深層の意思なのかもしれない。10代の頃、いつか日本人は土地も民族も棄てて世界中へ散り散りになるのではないかと朧げに思っていたけれど、今の時代を見るとそう遠くない未来に、それが実現してしまいそうな気がする。

3
石原氏の当選会見なんて全くもって見たくない訳です。そういうものに憤慨するのはもはや体力の無駄だと思うので、今後のことをもっとシビアに考えたいなと。例え非現実的であっても、いつか起こるべくして起こるであろう国家の崩壊以後の生活に思いを巡らす方が、多少は前向きに思える。

4
自分が今属していて、離脱することもできない北海道の未来に関して現実的に考えれば、残された希望はやはり「農とIT」なのだと思う。健康を維持する農と、社会や経済を形成するIT。北海道ならば良いバランスでできるのではないか。あとはガタリも言うように、人の心を維持するための芸術も重要。

5
久しぶりに言葉を垂れ流してしまったけれど、これらの言葉は社会的な批判やビジョンなどではなく、あくまで個人の恨み言であったり、妄想じみた希望でしかない。文字通りの聴き手なきつぶやき。所詮は、変革のための行動が叶わない者の言葉だから。

6
今から仮眠して、3時に起きたら仕事再開予定。選挙に絶望しようが何だろうが、容赦なく怒濤の一週間が動き出す。曲がりなりにも人様の未来を預かっている以上、社会を先読みする前にやらねばならないことが目の前に山ほどある。


※twitterから転載。中略あり/推敲なし。
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# by akiyoshi0511 | 2011-04-10 22:28 | monologue

Audio-visual Live in Sapporo

<イベント名>
 Yota Morimoto & Akiyoshi Kitagawa Audio-visual Live

<日時>
3月27日(日) 18時半開場・19時開演
会場:環境NGO ezorock コミュニティスペース
  (住所:札幌市中央区南9条西3丁目1-7)
※入場無料(当日は東北地方太平洋沖地震の被災された方々への義援金を受け付けています)


<アーティストプロフィール>

○Yota Morimoto

森本洋太(1981年ブラジル生まれ)オランダ在住。英国バーミンガム博士課程在籍。トランスメディアーレ(ドイツ)、ISEAフェスティバル(ドイツ)、音と音楽コンピューティング会議(ポルトガル)、国際コンピュータ音楽会議(アイルランド)、NWEAMO(メキシコ)、 TodaysArtFestival(オランダ)、makeart
festival(フランス)等、各地の国際会議や音楽祭で論文/作品を発表する。2008年にはチェリスト Frances-Marie
Uitti との共作 DVD "13AL" を発表。プロジェクト「すけべ人間」の緑一点。トリオ broodje のエレクトロニクス担当。

サイト
http://yota.tehis.net/


○Akiyoshi Kitagawa

北川陽稔(1978年札幌生まれ)Photographer / Visual Artist
東京コレクションやパリコレクション関連の映像制作、ライブVJ、ミュージックビデオディレクター等の活動を経て、アートフィルムの制作に取り組む。
作品はアンディ・ウォーホルやガス・ヴァン・サントらが名を連ねるアメリカの映画祭 Ann-Arbor Film Festival において入選、国内映画祭にて入賞。
現在は札幌市内の専門学校にて講師を務めながら、北海道のランドスケープに関する写真や映像のビジュアル作品を発表。VJ・audio-visual分野の活動も再開し、Yarn:moor(noble)のライブ映像や、ソロパフォーマンスを行っている。

サイト
http://www.visual-activist.com/akiyoshikitagawa/
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# by akiyoshi0511 | 2011-03-23 07:07 | dialogue

<個展延期のお知らせ>

 3月22日(火)より開催を予定しておりました、北川陽稔写真展「annoski #01 tuie-pira」は、
 東北関東大震災に伴う関東圏の電力使用の自粛を考慮し、開催を延期させていただくこととなりました。
 
 照明の使用量を抑えての開催も検討して参りましたが、少しでも消費電力を抑えねばならない状況下で、
 写真展のために電力を消費することは、作者としてやはり本意ではありません。
 会場であるギャラリーコスモス様と相談させていただき、
 半年後に、改めて同ギャラリーにて写真展を開催することに致しました。
 
 開催は半年後の9月もしくは10月を予定しております。
 会期が近づきましたら、また改めてご案内をさせていただきたいと思っております。
 大変ご迷惑をおかけいたしますが、ご理解のほどを宜しくお願い申し上げます。

 この度の震災でお亡くなりになられた方々には、心よりお悔やみを申し上げます。
 また、被災地の方々が一刻も早く平穏な生活を取り戻されます事を、心よりお祈り申し上げます。
 

 2011年3月18日(金)
 北川陽稔
 HP:http://www.visual-activist.com/akiyoshikitagawa

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# by akiyoshi0511 | 2011-03-18 14:33 | dialogue

Photo Exhibition "annoski #01 tuie-pira" (3/5情報更新)

3月22日(火)より、目黒のgallery cosmosにて写真展が開催されます。
初日18時半からのオープニングパーティでは、同シリーズをモチーフにしたaudio-visualパフォーマンス及び、アーティストトークを行う予定です。

※フライヤー宛名面の会期情報に誤りがあります。正しくは下記の告知に記載の通り、3月22日(火)〜4月3日(日)までですので、ご注意ください。

・・・

Akiyoshi Kitagawa Photo Exhibition in Tokyo

【タイトル】『annoski #01 "tuie-pira"』(2010年新作)
【会期】2011年3月22日(火)〜 4月3日(日)
【会場】:Gallery Cosmos(http://www.gallerycosmos.com/
    (住所:東京都目黒区下目黒 3−1−22 谷本ビル3階)

今回は2010年より制作を進めている「annoski」シリーズから、「#01 "tuie-pira"」のプリントを17点。
また、同シリーズの現在地点である「#04 "hemoi-tomari"」の一部を抜粋展示します。

初日(3月22日)18時半からオープニングパーティを開催。
本作に関連するaudi-visualパフォーマンスも上演します。
(入場無料)

・・・

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# by akiyoshi0511 | 2011-02-25 11:26 | dialogue

書籍購入

金曜の午後から土曜にかけてオフ、ということにした。
支笏湖休暇村で一泊して、翌日は芸術の森で森山大道の展示を見て、帰途、コーチャンフォー(大型書店)に立ち寄る。
1月は雪崩のようなスケジュールで本を買いに行く時間もなかった。

スティーブン・ショアーの「写真の本質」、中川真「サウンドアートのトポス」、ミシェル・ウェルベック「ある島の可能性」。三冊でぴったり1万円。
きれいに二ヶ月分の書籍代を消費して帰宅。


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# by akiyoshi0511 | 2011-02-13 15:55 | monologue

底の力

「底力」という言葉がある。
前向きな時にも、窮状においても使う不思議な言葉。
いま感じているのは前者のような「自己の奥底の力」ではなく、「(自己の陥った)底の世界から湧き上がる力」。
如何ともし難い状況があるからこそ、無駄なものもまたなく、心身の疲れとは無関係に、集中力は途切れない。

10年くらい前に笙野頼子の短編小説で「底の世界」というフレーズを目にして、それが印象に残っていた。笙野氏の間断なく繰り出される言葉は、まさに「底の世界から湧き上がる力」そのものの結晶のように感じられた。
20代前半でフリーランスで生きていた自分はその言葉に、不思議とたゆたうような心地よい感覚を覚えた。そして、今また同じ言葉から力を得ている。けれど、この感覚は以前とは少し違うなと思う。

兎にも角にもそれは、プリントの画面にも現れてくるものらしい。


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# by akiyoshi0511 | 2011-02-07 01:56 | monologue

磨りガラス

磨りガラスの窓に映る色が藍色から一気に水色へ。
冬の朝は色の変化が劇的で、またそれを、磨りガラス越しに見ているからこそ美しい。

冠布を被ってピントグラスに映る仄かな「光の名残」を捉えている時の、あの感覚と似ている。
いや寧ろ、ピントグラスの中のものを、この視野に近づけようとしている。

シリーズの撮影を再開しよう。


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# by akiyoshi0511 | 2011-02-03 07:01 | monologue

未知のカメラ

年末年始はいつも以上に制作物に追われる…というのは例年のことなので慣れているが、今年はとくにやることが多くて、年が明けてからの一週間はほぼカンヅメ状態で、昼夜もなく作業をしていた。
年賀状の用意はしたものの宛名書きをする時間が遂に捻出できず、結局年始のご挨拶もメールに代えて、ほとんどPCに向かいっぱなしだった。昨夜でひとまずその状態から開放されたが、3月末までは同じような状況が断続的に訪れることになっている。

休暇返上で取り組んだ甲斐あって、今回で3年目になるアース・ビジョンの告知映像のラフは何とか仕上がり、3月のパフォーマンスに向けた映像のプログラムもある程度のところまで作成。同じく3月の写真展の展示プランも大まかなところは決まった。

それで制作物の方は少し目処が立ったが、今度は授業が始まるので明日から数週間は日夜、その準備に追われる。
近現代の写真論、映画論を辿る講義はあと2回ほどで、最終回を迎える。ここまでの情報はもっとも重要なものだが、同時にあくまで基礎や素養レベルのもの。春からは実制作にどんどん取り組みながら、現代映画ならではの新しい話法や、CMやミュージックビデオ等の撮影・編集のハイテクニックを学ぶ段階に移行する。

それとは別に進めてきた撮影・編集技術の講義は、映像構成のための基礎論をあと数回で何とか伝えきらねばならない。特に編集論は実習形式でなければ、教える側にとっても教えられる側にとっても正直退屈なものだが、基礎的なノウハウを知っているのと知らないのとでは、その後が大きく変わる可能性がある。
構成を組むにも、ディテールを詰める際にも、基礎論を知っていればトライ・アンド・エラーの回数が圧倒的に減るからだ。

仕事は苦労を伴いつつも楽しいが、少々不安があるのは体調の方。一昨年あたりから断続的に出ている症状が昨年末からまた悪化してきたので、今回ばかりは覚悟を決めて、初めて内視鏡検査を受けてみることにした。
日々学び、考え倦ねてきたカメラの視線、モノを見る視線が、突然自分のからだの中に向けられると思うと何だか不思議な気がする。自分の体内というものは現実に存在しているにも関わらず、視覚的に感知できないという意味では現実の裏側にある領域でもあり、ほとんど無意識の夢と同じようなものかもしれない。自分自身の預かり知れぬ領域で何かが起こっていて、おそるおそるそこに目を向ける。これは文字通りの意味で、「生き残るためのセルフ・ポートレート」だろうか。
そして、そこには本来見えないものを視ようとする視線の欲求も多少は見出すことができる。仮にもしも自分が医療技術に精通していたなら、X線写真や内視鏡を使ってなにか作品を作っているかもしれない。アナログのレントゲン写真も、考えてみればれっきとした写真装置ではある。そして今、自己の「内部の現実」と向き合うことができるのは、フィルムカメラなどではなく超小型のCCDだ。デジタルで明るみにされる自己の体内。それは観念も、曖昧さも介在する余地のない文字通りの現実…のような気がする。

それで何か妙なものが見つかるにしても見つからないにしても、いずれにしてもそろそろ自分は「引き算」の時間軸を生きる年頃に入ったことを実感している。一日/一時間/一分を無駄にせず、また時には、時間を慈しむような感覚も大切にしたいと思う。


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# by akiyoshi0511 | 2011-01-11 16:15 | monologue

大晦日

天気が良いので、散歩がてら近所の神社に暮れの挨拶(僕らはそこを猫神社と呼んでいる)。そのまま市内の大型書店に足を伸ばして、今年最後の本を買う。選んだのは北野圭介「映像論序説」と、ゲルハルト・リヒター「写真論/絵画論」。

店を出ると既に日暮れが近づいている。藻岩山の向こうには残照が輝き、白と柔らかい橙色と水色が混ざり合って美しい。目の前の薄暮の青い視界から、遠くに臨む淡い暖色。まるで氷の惑星に住んでいて、そこから光に満ちた遠い星を眺めているかのようだった。

今年もあっという間の一年間だった。何よりもまず、映像上映や写真の展示がこれまでになく多かった。映像に関しては小規模のイベント等も含めれば、通算20回くらいは上映の機会があった。シアターキノ、苫小牧サンガーデン、そして北大クラークシアターなど、自分にとっては重要な場での上映や講演も何度かあった。写真の方でも通算6回の個展・グループ展の他、多くの人が訪れる場で展示や講演を行わせて頂き、撮影ワークショップの機会も何度か頂いた。
それぞれの場を与えてくださった方々には、心から御礼を申し上げたいと思う。

写真の新作の制作も順調に進み、その作品が東川の写真フェスティバルでギャラリー関係者の目に止まり、来春の東京の初個展が決まった。展示プランはほぼ固まったので、1月後半にはいよいよプリント作業に入る。
年始には東京の映画祭のオープニング映像制作が控えている。この仕事ではこれまでのモーショングラフィックのプロセスを一度全て棄て、全く別のやり方でタイムラインの構成を行っている。手探りで学んできた新しい技術を、はじめて作品と言う形に織り上げる。また、そのプロセスを応用して新作の映像パフォーマンスを3月に予定している。

1月中旬から再び学校の授業が動くので、一日の大部分はその仕事に費やされてゆくだろう。一年の気合いを入れる意味でも、歳が明けたらすぐに一本、新しいプログラムを組もう。


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# by akiyoshi0511 | 2010-12-31 18:43 | monologue

usu-nupri / hemoi-tomari

年内最後のフィルム現像が届いたので、早速スキャンする。今回は10月から11月中旬に撮影したシートフィルム4枚。一回の撮影で作れるネガは物理的に最大二枚。
この非効率性(心身の現在地点と撮影行為の不一致)と、非即時性(生活時間と露光時間の最大限の段差)もまた、欠かす事の出来ない要素なのだ、と思う。
自分の心身の状況と無関係に、レンズは巨視的な時間と向き会っている。撮影者はただただ、視界が暗転するまでの30分を(蚊と戦い、熊の気配に畏れながら)、ただただ待っているだけ。

有珠山のシリーズは、来年度もこのまま撮り続けるか、今の枚数で見切りをつけるか悩むところ。シリーズを構成する上でのパーツは揃っているが、単体のシリーズで考えると、もう少し続けたいなという思いもある。

そして泊村のシリーズは、同じシリーズのこれまでのロケーションと大きく趣が異なる画像に仕上がっている。そもそもシチュエーションが海辺であること。また、周囲が開けていることで、日没〜全闇までの色合いの変化が山間部とは異なり、より青系に傾いたネガに仕上がってくるのだが、理由はどうもそれだけではなさそうだ。

波打ち際の切り立った岩壁を写した写真も、水面の向こうに三機の原子炉を臨む一枚も、画面には独特の静けさと、物々しさが漂っている。被写体それ自体の印象は、これまでの3つのシチュエーション(遺棄された採石場/地蔵の並ぶ里山/活火山の山麓)に比して、曖昧なものが多いはずなのだが、写真としては、なぜか一枚の印象がとても強い。
映っているものが不可解であることが画面に奥行きを与えているのかもしれないし、それ以上の何かが、そこで再現されているのかもしれない。

いずれにしてもこれで、#1〜#4で30枚程度の展示を構成できるまでには至った。

3月22日から目黒のギャラリーコスモスで個展が決まったので、その展示には、このシリーズの#1(前述の採石場)から15枚程度を、全倍くらいの比較的大判のプリントで展示する予定でいる。


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# by akiyoshi0511 | 2010-12-25 22:37 | monologue

近況と試作

10月、学校の常勤業務に加えて4件の作品上映とそれに伴うパネル展、そしてフジフォトの企画展参加をこなし、11月は学校行事に向けて新しい機材のセットアップに追われつつ、合間を縫うように洞爺と泊の撮影も一回ずつクリア。
今日は約2ヶ月振りの全休。

次の週末は月末〆切のコンペ出品用のプリント作業が控えているので、また休めそうもない。
以後は来春の東京の個展準備。また、先月東京の友人から送られてきた音響素材とコラボレーションするヴィジュアルを現在制作中で、これは年内にサンプルを上げる予定で動いている。然るべき形が見えたら、どこかでライブ形式で発表することになるのかもしれない。
先月から、この種の作業(デジタル系の生成映像)が自分のなかで大きなウェイトを占めている。

もしもボードリヤールのテクストと向き合っていなかったら、このように再びデジタルツールによる制作と向き合うことはなかっただろう。

ボードリヤールはなぜ晩年に、ネガフィルムに拘ったか?
それは、デジタルの重さを欠いたイメージの氾濫への抵抗であり、果てはデジタルというシステムが世界を席巻すること、それ自体への警告であり、抵抗であったはず。
そのテクストを脳裏でリフレインさせながら、僕は今年「annoski(アンノシキ)」というタイトルの、薄暗がりをネガフィルムの長時間露光でトレースするシリーズの制作を続けてきた。
この作業は写真を媒体としていながら、「複製/複写」であると同時にある種の「生成」としての感覚も併せ持っていた。なぜならそれは、眼前の光景が徐々に光を失い、最後には完全な闇に閉ざされる時間の流れを体感するものであり、言い換えれば、肉眼ではもはや認識できない微細な光が失われてゆく過程を、フィルムに刻印してゆくような作業だったからだ。

前述のボードリヤールの末期の言葉と、このシリーズのプロセスが、デジタルの側からのイメージの生成の仕組みをもう一度理解し、改めて使いこなすということへと繋がって行ったように思う。

もっとも重要なことはどちらも「ある部分から先が偶発的」であるということ。
コンセプトを定めてデジタル言語の偶発性をコントロールすることは、事前に定めたフレームに基づいて、暗がりの中でフィルムに露光を行うことと、どこかで繋がっているように思う。

それはもしかしたら、モンタージュに依らずに世界を叙述する、新しい言語を模索する試みなのかもしれない。映像編集の新しい形とも言えそうだが、「編集=固定化されたタイムライン」と言う定義そのものからも、逸脱したものとなるだろう。
コンピュータのシステムを介したランダムな叙述によって、「構成=意図」の壁を乗り越えること…実験が成功するか否かはさておき、冬の間は撮影に代わって、この作業に注力したいと思っている。


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# by akiyoshi0511 | 2010-11-23 21:54 | monologue

上映情報

10月31日(日)
北大クラークシアターにて「森と水の庭ウトナイ」を上映します。
詳細は下記URLを御覧ください。
http://www.clarktheater.jp/work_gaia.htm

※会場内にて写真パネル展も同時開催 (11月4日の映画祭終了まで展示しています)
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# by akiyoshi0511 | 2010-10-30 00:33 | dialogue

「なごみの森通信」

先日撮影ワークショップを行った苫東の「なごみの森」関連で、
短いエッセイを載せていただきました。
http://nagominomori.no-blog.jp/weblog/2010/10/post_8ac6.html
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# by akiyoshi0511 | 2010-10-13 09:09 | dialogue

フジフォトサロンにて写真展開催中

http://northfinder.jp/events/hokkaido.html

昨夜はこのオープニングセレモニーで講演をしてきました。
持ち時間を勘違いして、進行形のシリーズの解説が超早送りになってしまったのは我ながら反省点というか残念点。

しかしこの写真展、本当に有意義だと思います。
北海道をステージに写真を撮るプロフェッショナルの、多様なアプローチを見ることができます。
どの方の作品も見応えがあると思います。

入場無料、しかも大通り6丁目という好立地ですので、ぜひ足を運んでみてください。

PS:講演にお越し頂いたWさん、森彦のコーヒーとクッキーありがとうございます。美味しくいただきます。
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# by akiyoshi0511 | 2010-10-02 12:13 | dialogue

上映予告(苫小牧市サンガーデン)

今週金曜はフジフォトサロンの写真展に関連して講演を行わせていただきます(前回の記事をご参照ください)。
その次は、10月16日(土)に下記のフォーラムで「森と水のウトナイ」の上映があります。

このイベントも以前から本番を心待ちにしていました。
フォーラムへの参加はもちろん、個人的には以前から行ってみたかった苫小牧市サンガーデンも楽しみです。
以下、案内メールより転載します。

・・・

10月16日に、NPO苫東環境コモンズ等が主催する2回目の
環境フォーラムを苫小牧で開催します。

場所は、苫小牧市サンガーデン、時刻は13時30分、概要は以下のとおりです。
以下は講演等内容です。


①基調報告『苫東環境コモンズの系譜』
環境コモンズ研究会座長・釧路公立大学長 小磯 修二 氏

②講演 1『霧多布湿原トラストのファンはどうして生まれたのか』
NPO法人 霧多布湿原トラスト 理事長 三膳 時子 氏

③講演 2『地域力と環境保全をどうつなぐのか』
NPO法人 ねおす 専務理事 宮本 英樹 氏

④特別プログラム『森と水の庭・ウトナイ』上映とスピーチ
映像クリエイター 北川 陽稔 氏

詳細は http://seinen-kishukusha.com/221026forum2panflet.pdf

・・・
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# by akiyoshi0511 | 2010-09-30 01:18 | dialogue

連続個展終了。どうもありがとうございました。

品品での2ヶ月連続個展、および東川でのグループ展は無事終了しました。品品は本当に多くの方にお越し頂き、たくさんのご感想をいただき有り難く思っています。どうもありがとうございました。

そして来月はフジフォトサロン札幌でのグループ展。こちらは既にプリントチェックを終え、あとは開催を待つのみ。
初日(10月1日)には夜の部のアーティストトークで15分ほど、自己の写真について(=北海道で写真を撮ることについて)、お話をさせていただく予定です。
写真展詳細は下記にあります。北海道在住の著名な写真家の方々が多く参加する写真展。また、このようなアプローチの企画展はこれまでにはなかったように思います。ぜひ御覧ください。
http://northfinder.jp/events/hokkaido.html

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北海道の写真=絵はがき的ネイチャー写真の時代から、何かが変わりつつあるのかもしれません。それはデジタルカメラの普及により、所謂プロフェッショナルの写真とハイアマチュアの写真の境界が一層曖昧になってきたことも起因しているのでしょう。
それはとても望ましいことだと個人的には思います。一般に自然が豊かと言われる北海道で、その地域性に閉じこもるのではなく、地域の環境を深く掘り下げた普遍的な写真というものを、僕自身も追求してゆきたいと思っているからです。

また、これも次の予告になりますが、10月31日には北大クラーク会館で「森と水の庭ウトナイ」の上映が予定されています。その日には館内別部屋にて、写真の展示(「Two Sanctuaries」)も行う予定です。ギャラリー空間ではないですが、品品の展示を御覧いただけなかった方はぜひお越し下さい。同地域を題材にした映画と写真を併せて御覧頂くことで、ひとりの映像/写真の制作者が、北海道のローカルな環境にどのように向き合ってきたか、多面的に見ていただける機会になると思います。

詳細は下記を御覧ください。
http://www.clarktheater.jp/work_gaia.htm


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# by akiyoshi0511 | 2010-09-13 14:07 | dialogue

『Two Sanctuaries』展

【会期】 9月2日(木)〜12日(日)
 AM10:00〜PM6:00 ♦最終日はPM4:00頃まで
 休館日:9月7日(火)
【タイトル】 『Two Sanctuaries』(2008年)
【場所】 品品法邑2F (http://houmura.com/
札幌市東区本町1条2丁目1-10 TEL 011-788-1147
※札幌では初展示となります

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# by akiyoshi0511 | 2010-09-01 21:47 | dialogue

「尾道」と「七つの山」

「写真小誌」はもう何度読み返しているだろう。初めて読んだのは随分前だと思うが、折あるごとに読み返している。この本は、読み返す毎に新しい発見が得られる(発見というのは、読む毎にそこから何かを想起する…という意味で)。
最近、港千尋氏の「第三の目」を読んだことも手伝って、何度目かの通読をした。

レンガー・パッチュの「世界は美しい」というあまりにも力強い命題と(これはほとんど全体主義のスローガンにさえ聴こえる)、世界の意味を捩じ曲げる写真。あるいは匿名のアマチュアによる、絵画を模倣する「趣味の」写真。
それらは結局、現在まで写真の主軸であり続けている。また現在でも、所謂「プロの写真」のほとんどが、その範疇に含まれることも何ら変わっていない。これは、マルクスが予見した世界の変革が、結局のところ今だ訪れてはいないか、あるいは人類が既に、その変革の機を逸してしまったことの証左とも言えるかもしれない。
ボードリヤールが云い遺したように、弁証法的世界(あるいは弁証法的思考が通用する世界)は、既にテクノロジーの肥大化によるシステムの自動性に取り込まれてしまった。最後の最後にボードリヤールは別の概念を対置してこの世界を去ったが、未消化のまま提示されたと思わざるを得ない。

いずれにしても、それらの「絵はがき写真」にベンヤミンが対置した、アジェ、ブロースフェルト、ザンダーらの写真、そして、認識のための新たな言語としての写真を切り開くモホイ・ナジの果敢な実践や言葉は、この「写真小史」が発表された時代に留まらず、現在でも、今後においても永遠にアクチュアルなものだろう。
「写真小誌」の図録に飽き足らなくなり、手元にある、ザンダーの写真集(数年前に東京の企画展で買ったもの)をあらためて手に取って開く。すると、ザンダーの晩年の作品「七つの山」のシリーズの中に、ヴィム・ヴェンダースが尾道で写した写真と酷似する1ショットがあることに気づく。

なぜ、ここでヴェンダースなのだろうかと、少し考える。

ヴェンダースは東京のモードをテーマにしたドキュメンタリー「都市とモードのビデオノート」の作中において、山本耀司との対談でザンダーの写真集を引き合いに出していた。そこで言及されるのは(映画の主題に沿って)人々の顔貌や装いだったが、同時に、ザンダーが引用されることで、ヴェンダースと山本耀司がなぜ共鳴するのかを暗に裏付けてもいる。映画の中で、ザンダーが媒介となってヴェンダースと山本耀司は共に「時代と人間」を扱う作家として、地続きとなっている。

そして、ヴェンダースという監督は周知の通り、映画においてのみならず、ビデオドキュメンタリーにおいても、「(カメラで)見ることとは何か?」を追求する作家だ。「ベルリン天使の詩」や「夢の果てまでも」などの主要な劇映画においては、ストーリーテリングやキャメラ・ワークのなかでそれを主題とし、「東京画」「都市とモードのビデオノート」などのドキュメンタリーにおいては、自己言及的なモノローグを装置に、あるいはカメラそのものの「視点=人称」を考察し、映画フィルムのマチエールが内包する聖性を拠り所に「電子の視線」の是非を問うた。
また近年の傑作「ランド・オブ・プレンティ」は、その「電子の視線」の即応性が、時代のリアリティと見事に結びついた作品でもあった。
(ちなみに…ヴェンダースも度々言及してきた「デジタルかアナログか」という問いには永遠に答えが出ないだろう。代わりに、デジタルであれアナログであれ、それが本質的にアクチュアルかどうか?という問いを置くならば、ヴェンダースは常にそれに応えてきたと言える。また、前述の港氏の本でも、デジタルの是非についてそのようなアプローチがなされていたように思う。その本についてもまたいずれ書きたい)

そのヴェンダースが、尾道を8x10のフィルムで、静止画で記録(あるいは記憶)するとき、ザンダーの「七つの山」の視線が脳裏を過っていたとしても、何ら不思議はないように思う。あるいはヴェンダースはそれを承知の上でより積極的に、山上からの尾道の眺めにザンダーの取り組みを二重写しにしたのかもしれない。

儚いということは脆いということを意味しない。
儚くも失われてゆくことは、それが永遠即ち、記憶の領域に移行してゆくということだ。

ザンダーが記録した人や風景が(今でも新鮮であることが)その証左であり、それを辿るヴェンダースの眼差しも、同じ地平を見据えているのではないだろうか。



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# by akiyoshi0511 | 2010-08-24 14:59 | dialogue

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