本日の北海道新聞朝刊に

ウトナイの映画の記事が載っています。
道新の方はご覧ください。
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# by akiyoshi0511 | 2010-01-11 11:10 | dialogue

新年一冊目

朝、自宅に東京の舞踏家の知人からDVDが届いていたので、そのままバッグに詰め込んで事務所に持って行く。
拝見するのが楽しみ。

通勤途中の紀伊国屋で『明るい部屋 の秘密』を購入。
今日も仕事はあるが土曜日なので読書可…ということで喫茶店でさわりだけ読む。
ちなみに昨年暮れから読んでいるのは『都市表象分析Ⅰ』。
買ったのは5年ほど前だろうか。
読み始めてみると面白くて、思ったよりも早いペースで進んでいる。

喫茶店でゆっくり読書…一体何ヶ月振りになるのだろう。
しかも珈琲を持っている時に、知人から嬉しい(仕事の)電話をいただいた。
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# by akiyoshi0511 | 2010-01-09 16:34 | monologue

Akiyoshi KItagawa on the web

http://www.visual-activist.com/akiyoshikitagawa/

個人のウェブページを再開した。
たぶん2年振りくらいだと思う。

ついでにお伝えすると、VAのサイト自体も若干リニューアルされています。

http://www.visual-activist.com/

今年も宜しくお願いします。
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# by akiyoshi0511 | 2010-01-06 00:50 | monologue

総括2009

2009年12月31日16時。今年もあと数時間で終わる。今日はこれから事務所に出て、仕事をしながら年越し。日々差し迫る業務に追われてできなかった仕事や作業を、年末年始に一気にこなす。これはもう、毎年恒例になりつつある。

先日、新聞社の方に拙作の映画撮影のもようを取材していただいた。東京から北海道に戻って最初に見定めた場所「ウトナイ」で、大方において一人で歩むこと3年目。やっとこの取り組みに、小さな光が当てられつつあるようで、年の瀬の出来事として、大変嬉しかった。

今年は、本当に目紛しく活動した。写真展4回にパネル展、ドキュメンタリー映画の撮影、「苫小牧イコロの森」の撮影、恵庭のガーデンの撮影、夏のezorockとのコラボレーション、数度のセミナー講演、とくにこの半年間に凝集された活動は、数え上げればキリがない。

来年は、全ての取り組みの真価が問われることになるだろう。とくにウトナイの映画制作は発表が秒読みに入っている。この作品が地域や映画祭で流通あるいは公開されることで、雨竜沼湿原の写真家のO氏がおっしゃっていた「撮り、伝えることの責任」とも向き合うことになると思う。

また春以降は、ウトナイ以外の北海道の諸地域でも撮影活動を始めることになるだろう。自己の作品の作法・方法論も、数年間でひとつの考え方が熟成・確認され、またその限界も痛感した。ここから、これまでの作法を踏まえつつ、あらたな局面を迎える。

そして、知床…。まだ未確定ではあるけれど、なんらかの関わりが生まれる可能性が高く、今から期待が高まる。

一人の写真家としても、年末にエージェントとの契約が成立し、ネクストステージに踏み込むことになった。作品を撮り、生活する。今、このサイクルが自分にとってほかの何よりも重要なこととして再度、位置づけられている。写真以外のことにたくさん取り組んだからこそ、その心づもりが得られたようにも思う。

・・・

2009年、これまでとは比較にならないほど多くの方々と出逢い、ご支援をいただき、お陰様で充実の日々を過ごすことができました。
心よりお礼を申し上げます。

そして2010年、本格的に30代の奔流に、そして北海道の奔流に踏み込みますが、何であれ、何が起ころうとも、堂々と泳ぎきる心づもりでゆきたいと考えています。
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# by akiyoshi0511 | 2009-12-31 17:23 | dialogue

冬に再会する

半期分の撮影素材をまとめる作業が一挙に押し寄せている。
先月から映像編集が4本立て続けにあり、打合せと先の環境セミナー講師の日以外はほとんど事務所に籠る毎日。
新しい市内の事務所が快適なのが、せめてもの救い。

編集の合間を縫って、22日はウトナイの環境施設で取材撮影を行った。映画の作業はそろそろ佳境に入っている。
23日も徹夜で編集作業だったが、今日は予定していたクライアント試写のスケジュールが明日に変更になったので、4×5カメラを車に乗せて札幌の郊外へ向かった。3時間だけ、仕事を忘れることにした。

札幌南部の定山渓という山の中の湖まで赴く。ダムの周囲は新雪で白銀の世界だった。思えば北海道の雪ときちんと再会できたのは、今日このときのような気がして、しばらく静かな湖面を眺めていた。
札幌に居を移して3年になるが、去年までは毎月東京との往復だったし、家も混乱していたし、札幌には知人もほとんどいなかった。
2つのシリーズ作品の撮影だけが、北海道との接点であり、言い換えればそれは北海道との接点を模索する取り組みでもあった。

昨年末に作品がまとまり、今春から目紛しく周囲の状況が変わって、今に至る。
この先のことなど定かではないものの、北海道の冬と落ち着いて向き合うのは、つまり10数年振りだったのだ。
写真は撮らなかったが、良い時間だった。

今期、半年間のカメラマンとしての案件はひとまず完遂することができた。全体を通してほとんど体力の限界との鬩ぎあいが全てだったけれど、余力のない中での撮影は、自分の撮影を見直す良い機会にもなった。
写真とはなにか?という問いの中で課していた技術的な枷のようなものは、もう脱ぎ捨ててしまっても良いだろうという気持ちに、ここへきてやっとなれたのだが、そう思い至るには、2つの作品シリーズの完遂だけでなく今夏のガーデン撮影の経験が必須だったのだ、おそらく。

写真への想いは変わらない。
写真で何をすべきかという想いも変わらない。
しかし写真の機構的な意味での真実性に拘泥するのは、もはや無意味に思われる。

標準レンズの視野と、手持ちの撮影と、必然的に浅い被写界深度。ビューカメラでの「視線の再現」の表現などは、これからは自己の一技巧(…に過ぎないもの)として捉えなおしてゆくだろう。
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# by akiyoshi0511 | 2009-12-25 01:41 | monologue

新作に向けて

仕事漬けが小休止となった数日で、写真の思考もやっと活性化してきたようだ。実地の取り組みの煩悶を抜けたあとでもあるので、写真を想うことがまず心から清々しく。

昨年までに、例えそれが些末なものであれ自己の正論をひとしきりシリーズとして形にすることが叶ったので(それそのものは今後も継続するとして)、10年来抱え続けてきた否定や不満を、潔く絶つときがいよいよ来たのかもしれない。

感覚や観念だけではなにも成り立たない。断片ではなくプロセスとして練り上げるために、ノートにいろいろと文字や脳裏を過るイメージを書き付けている。次の取り組は、比較的広い範囲を動き、注意深く陳腐化を避け続けながら一枚一枚のイメージを紡ぐことになるだろう。少なくとも、そういう姿勢は要求されるようだ。

・・・

本日はこれから、寝不足のままで早朝から勇払の森で記録映画の撮影。
その映画の方も、記録映画(地域理解促進活動)としての直球の取り組みの他に、同じ素材+αからまったく別のブリコラージュな映画を作る、ということで考えがまとまりつつある。

実地で受け入れてもらえるのは前者、自分を知る人が興味を持ってくれるのはおそらく後者のはず、しかしこの予想がいい感じに外れることもまた願っている。
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# by akiyoshi0511 | 2009-11-22 04:41 | monologue

連れ帰って来たニョッキ

ぼくはこれをニョッキと呼んでいる。
ウトナイのカフェに置くために、この春に購入したツピタンサスという種の樹。

今日、カフェの取り組みは最終日を迎え、早々に荷物の一部を引き上げて来た。
最初に車に積み込んだのは、他ならぬその樹だった。

撤収が、この樹から始まったのはなぜか?
たぶん、この取り組みをまだ生かしたい、まだ育てたいという気持ちの現れだと思う。

場所は変わるけれど、ニョッキと向き合う日々は続く。
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# by akiyoshi0511 | 2009-10-31 23:53 | monologue

しなやかな喉

相変わらず、昼も夜も週末も関係ない日々が続いている。
金曜の深夜から土曜の午前まで休んだり、時々、陽のある時間帯に2時間休めたりするのが、せめてもの休息。
そんな抜き差しならない日々の合間に、制作途上のドキュメンタリー映画のナレーションについてふと、思いを巡らせてみた。

いまはテロップで埋めているナラティブの流れを、最終的には一人称のナレーションと並行させるか、ナレーション主体のものに変えようと思っている。

ある人物の声、というのはその人の顔の容貌とか、身体の外見よりも遥かに大きな作用を、その人物の外部に対してもたらすことがある。
言うまでもなく声は喉から出るものだけれど、その喉の力みや、しなやかさは、そのまま心(しん)の力みや、しなやかさを反映してもいる。つまり、その人の表層よりも、奥底の状態が強く反映され、尚かつ外部に表出するのが、声なのだ。

ぼく自身、声の表情はよく変わる。緊張に負けたり、油断していると屈もった音になり、ストレスが嵩むと、声が喉元で閊えて出なくなることもある。寧ろ発声を意識し続けていなければ、いずれかの状態になっている。
だからこそ、自然に発せられるしなやかな声に憧れる。

そんなことを考えながら、ぼくは今、「ウトナイ」を語る声に、あるトーンを求めている。森と水のアウラと対話する「その声」を探す旅は、おそらくは今にはじまることではないのだろう。
「ウトナイ」にたどり着くずっと以前から、ぼくはそれを探していたはずだ。

なぜならこの「ウトナイ」とは、ぼくがずっと探して来たモチーフが、余すところなく揃っている場所であり、ここで映画を撮るということは、別の場所を生きながらえながら朧げに抱えて来たビジョンを、はじめて具現化することでもあるのだから。

「森と水の庭」と名付けたこの作品がしかるべき形に辿り着いたとき、ぼくの呼吸や声は、少しは楽になるだろうか。
そんな個人的な思いなどはどうでもよいのだが、それでもふと、この作品を媒介とした自己の救済へと思いが還って来てしまうことがある。

先日、ひとりで沢に入って鮭の産卵床の撮影をしていた。
このいきものの孕むドラマツルギーには、昔から心惹かれるものがある。
生まれた沢の「水の匂い」を嗅ぎ分けて大海から戻り、おそらくは生まれた場所にほど近い処で、その生涯を閉じるこのいきもの…。
北海道を一度離れる前、10代の頃から、ぼくは鮭の遡上や決死の産卵、その屍体を見つめていた。

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# by akiyoshi0511 | 2009-10-18 13:52 | monologue

この場所

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新千歳空港から車で5分+徒歩で15分の水源。
この地域では珍しい、滾々と湧き出る泉に出逢う。

ここは真冬にもう一度訪れたいと思います。
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# by akiyoshi0511 | 2009-10-14 02:54 | monologue

柔らかく斬り込む仕事

北海道に居を移し、「ウトナイ」で写真を撮り始めたのが今から約2年前。
昨年、60枚からなるシリーズがやっとかたちになり、その後、写真を展示しながら、地域にアトリエを構えて活動を映像制作へと発展させて来ました。

これはドキュエンタリー映画、というくくりになると思うのですが、
取材調のルポルタージュではなく、地域の人々の言葉や営みと実景を交えながらモンタージュ的に地域のありようを描くことで、普遍的な問題意識や、エコロジーへの希望を炙り出そうというアプローチ。

最終的には四季の素材を使って50分ほどの中編になる予定ですが、今は上記のように撮影済みの素材を順次短編作品として編集し、地元ウトナイを含め、各方面で上映活動等をしています。


(画面を2度クリックすると大きなサイズでご覧になれます)

編集が何バージョンも存在するのも、今回の取り組みの特徴です。
そして制作された映像を通して、地域へのはたらきかけを行っています。
10月後半には再び地元苫小牧の施設で、30分ほどの中期バージョンを公開予定。

まさに "Work in progress"。

当初からざっくりと構成を決めてはいましたが、5月にウトナイの森にコミュニティカフェを構えて以来、カフェに訪れる地域の人々との関わりの中で撮影対象も増えて行きました。例えばウトナイ湖の遊漁のシーンや、「美々川」の川下りの素晴らしい映像は、地域の方々との出会いから生まれたものです。
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# by akiyoshi0511 | 2009-10-02 10:59 | dialogue

Meditation on Mars

あたらしいシリーズに取り組んでいます。

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今回のシリーズに限らず、あらたな作品に取り組む時は、まずひとつの印象的なエリアからモチーフを選定し、それらを期間を置いて繰り返し写し取りながら、そのモチーフのもっとも明確なイマージュを探る、ということをする。
(誤解を恐れずに言えば、その突出したイマージュは偶然に見いだされることもしばしば起こりえる)

そして次に複数のスポットから同種のモチーフを選び出し、「ヨコ」に切り開かれた体系に展開する。
蒐集と編纂の形式が変化したり、局所的な視線から全的なテーマが生まれたり、あるいは全的な視線から局所的なテーマが生まれたり…ということを繰り返しながら、この体系を練り上げてゆく。

タイポロジーとブリコラージュの並存。
一定の姿勢と変化する視線をひと抱えにしながら、その導線を見いだして行く作業。

たまたまこのタイミングで、「悲しき熱帯」の素晴らしいレビューを見た。

シリーズの第一弾は、12月に札幌市内で展示予定。
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# by akiyoshi0511 | 2009-09-28 12:38 | monologue

この週末は円山公園へ

札幌市内の円山動物園にて開催される、「北海道環境活動交流フォーラム2009」にて展示を行っています。
美々川の映像、ウトナイの写真(合計24点)等をパネルにて展示しています。

市内の方はぜひお越し下さい。
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# by akiyoshi0511 | 2009-09-12 01:24 | dialogue

吉日

昨日、札幌のICCにて、アメリカのサンディエゴ写真美術館のエグゼクティブ・ディレクター、デボラ・クロチコ氏に写真を講評していただく機を得ました。
今回提出したのは「Two Sanctuaries」と「Unknown Northern City」。

プレゼンテーションの最初の一枚から、最後の一枚まで、そしてその後のトークを含めて30分ほど、心地よい対話が続きました。制限時間を大幅にオーバーしてしまいましたが、もっともっと話を続けたい、そういう思いでした。
はじめて、自分の写真が、しかるべき場所で、しかるべき人に伝わった実感を得た気がしています。

表現には、こと写真表現には、必ず作家の論理というものが存在します。
今回、事前の解説抜きで、己の論理をしかと汲み取っていただけたのは、本当に嬉しかった。
美だけではなく、観念だけではなく、写真とは他ならぬ「論理」なのだというわたしの声に、共鳴していただけたと思います。
そして、「Visual literacy」の考え方を持つクロチコ氏だからこそ、そのように深くご理解いただけたのだと思っています。

詳しい採録は、後日どこかに記載できればと思っていますが、まずはこの機会をくださった方々に、そして現場のコーディネートを努めてくださった在札幌米国総領事館と札幌ICCの皆様に、心より感謝いたします。

・・・

この吉日の夜、ぼくはひとつの決断をしました。
同じく昨夜、あらたに現像が上がって来たあたらしいシリーズの感触も上々。
これはまだテスト段階ですが、来年の本撮影に向けて詰めて行きたいと思っています。
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# by akiyoshi0511 | 2009-09-09 11:39 | dialogue

memo

わたしが「知っている」と思うことは、ほんとうに「わたしが」知っていることなのか。
それは生まれる以前、あるいは生まれて以後に刷り込まれた誰かのイマージュの焼き直しであり、誰かのイデオローグの無意識の反芻ではないのか。

故にわたしにとって写真を撮ることの営為とは、わたし自身の「不用意な」認識や記憶をたえず打ち消しながら、眼前の現実を「第四の人称」において捉え直すことにある。

なぜそのようなあり方に執心するのかと言えば、それはやはり村上春樹が先のイスラエル訪問で発言したように、世界を席巻する「システム」に自己の存在が取り込まれないようにするため…なのだろう。
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# by akiyoshi0511 | 2009-08-20 12:24 | monologue

未来へ遺したい場所/未来を感じる場所


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# by akiyoshi0511 | 2009-08-10 02:15 | dialogue

今度は庭の写真

写真展が続いている。
http://d.hatena.ne.jp/Art-Activity-UTONAI/20090709/1247159072

レギュラーの撮影も容赦なく続き、正直かなりしんどい。
しかし今年は可能な限りアウトプットして行こうと決めたのだから兎に角、やる。

やると決めたことを今やらずして、次のビジョンなど描けないはずだから。

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# by akiyoshi0511 | 2009-07-10 03:26 | dialogue

部分展示

ウトナイのシリーズの約半数に「森と水の庭」という小タイトルを冠して、20日からギャラリー展示することになった。

60センチ四方のスクエア・プリントを約40枚、それなりの規模だ。
いま、ない予算を振り絞って急ピッチでプリントを作り、展示用のパネルを貼っている。

このシリーズの大枠のタイトルは「Two Sanctuaries」だが、今回はいわばその「A面のサンクチュアリ」のみを取り上げた。残る「B面」はもともと数が少ないのだけれど、今回はそちらの側に属する写真は完全に外している。

彼岸と此岸の、どちらかというと彼岸の側=つまり自然物のみを抜粋した。

さらにこのシリーズ、「Two Sanctuaries」としては既に完結しているけれど、これから来年に向けて撮影を継続する中で、シリーズを拡大してまた別の、もっと大きな枠組みのタイトルが付けられるだろう。実はほぼフィックスしたタイトルだけは既にある。

その「大きな枠組み」に至るとき、写真はおそらく論理/思想の範疇を超えて、森羅万象を多彩な旋律で描く荘厳な音楽のように、そこに冠する言葉の質も、論理を凌駕したものに変わるに違いない。
その一番大きな容れものが完結したら、少なくともテーマとしてのウトナイは終わる、と思っている。
言い換えれば、そこまでは終わらない取り組み、ということでもある。

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# by akiyoshi0511 | 2009-06-19 01:53 | dialogue

イベント終了

週末までの混沌とした記憶を携えて、昨日は数週間ぶりに静寂を取り戻したカフェで過ごしました。

数ヶ月ぶりにザンダーやシュトゥルートや中平の写真集を手に取って眺めれば、画面のアウラがぎらぎらと脳の奥まで入ってくる。

5年ぶりにスーパー8カメラを手にとれば、
壊れていたはずのそれはふと思い出したように、シュルシュルと回り始める。

あたらしい記憶から遠い記憶へと一気に遡行して、やっと原点に立ち戻ったなと感じた午後のささやかな連鎖。

そろそろ本編復帰。
そのために、ここまで来たのだから。

自分なりの「100のまたたき」をはじめようと思っています。
四半世紀を隔てたメカスの視線には到底及びませんが、一瞬でも、自己と他者の心を透明にするまなざしを求めて…。

気づけば北の原野の初夏の躍動も、既に始まっていました。
蝉の声が、第二楽章の始まりを告げています。
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# by akiyoshi0511 | 2009-05-26 12:11 | monologue

いいリズム。

東京案件をランドスケープにつなげて…
明日の撮影は朝の光に包まれて…
ガーデンへの視線も少しずつ、自分のフォームが見え始めて…

ふっと自然な流れで、あたらしい提案も生まれた。
きっとこれは風に乗る。

そんなこんなで久しぶりの、トンネル抜けた感。
妙な強張りからもやっと解放された感。

ふと気づくと、23日のライブ音源(別版)がiTuneに。
聴きたかった曲を初めて一人で聴けた。
やっと聴く準備ができたのかもしれない。

なんだ、なんであれ、この音があって、僕たちの意思がある。

それでいいんじゃないか。
あとは当日、自分の役目をきっちりまっとうしようかなと。
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# by akiyoshi0511 | 2009-05-20 13:41 | monologue

いま、ここで。

先日、半日休業日を設けて、動物園にホッキョクグマの子どもを見に行きました。
その折に、円山駅から動物園までの杉林を15年ぶりに歩きました。
北海道に戻って以来、ずっと訪れたいと思っていたこの杉林。

僕がこの機を待っていたのか、樹々が待ち構えていたのか…。
18歳の時に、キャノンのコンパクトカメラでこの杉林のモノクロ写真を撮ったことを覚えています。

動物園の帰りに、生まれて初めて自分の意志で北海道神宮へ参拝。菊の紋章が威圧する重苦しい雰囲気の中で、自分が「この土地における外部のもの」であることを確認し、その矛盾の象徴に挨拶をしました。

やはり、挨拶はしても加担はしたくない。
そんなあるかなしかの、些末な意地とプライドを残した半端な挨拶になりました。

象徴とはおそろしいもので、この瑣末な意地を表現することにさえ、それなりの恐怖を伴わせる。
そして、それこそがこのシステムの実体なんでしょう。

個人の心の鏡を使って、恐怖を増大させ、信心をあおる。
恐怖への幻想が一元化されて出来上がったこのシステムは、あるいは鏡までは正しいが、鏡に映る恐怖を何者かに集約する仕組みは好ましくない。個人が個人であることを、見失わせる為の絡繰りがはたらき、弱者が強者に加担することで自意識を維持する悲惨な構造が、より強固になってゆくのだから。

表皮が変化しても変わることのない「滅私奉公」を強要するシステム。全体主義のさなかで「全体」とは何者か理解している者が、いったいどれだけいるか。

強固なものと、繊細なものの永遠の拮抗。
常に答えが出ていて、同時に永遠に問いであり続けるもの。
疲弊しても、死を翳されても、問い続けねばならないこと。
引用でごまかさず、自分の言葉で語らねばならない事柄。

己の摩耗が先か、なにがしかの変革が先か?
あるいは「そのとき」、社会の変革と己のありようが適切にシンクロできるのか?
その準備は常にできているか?

・・・

春は、周囲のいのちの芽吹きの中で思考のモードが切り替わる季節。
「ここまで」と「ここから」の段差を調整するモードに入ってます。

やがて夏が来て、自然のリズムとの対話の中で、ある種の明確さを獲得することができるでしょう。これが自然からもたらされることが、おそらくは何よりも重要。
変革そのものの可能性も、このリズムのただ中にあるのだとやはり思う。

その変革の気配を捉えながら、疵をつくることに専心したいと思う。
写真は、ひとつの通りすがり生の痕跡=引っ掻ききずに過ぎないのですが、その疵であるという役割は獲得しているはずです。

誰かがこの疵をもとに語るもよし。
誰かがこの疵の所在を求めるもよし。
要はアクティビティの契機になれば、それで良いのです。

歌い手が消えても歌は残る。
環境の複写物である写真も、最終的には同じ次元ですね。
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# by akiyoshi0511 | 2009-05-19 14:12 | monologue

映像作家・写真家 北川陽稔 http://www.akiyoshikitagawa.com/


by Akiyoshi Kitagawa

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