2009年 08月 20日
memo
それは生まれる以前、あるいは生まれて以後に刷り込まれた誰かのイマージュの焼き直しであり、誰かのイデオローグの無意識の反芻ではないのか。
故にわたしにとって写真を撮ることの営為とは、わたし自身の「不用意な」認識や記憶をたえず打ち消しながら、眼前の現実を「第四の人称」において捉え直すことにある。
なぜそのようなあり方に執心するのかと言えば、それはやはり村上春樹が先のイスラエル訪問で発言したように、世界を席巻する「システム」に自己の存在が取り込まれないようにするため…なのだろう。
by akiyoshi0511
| 2009-08-20 12:24
| monologue