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2013.10.7

全包囲的なデジタル化によって世界が不可逆性を失っていくことに対して、まだ違和感を拭いきれない。
逆にそれが僕の作家としての拠り所とも言える。
だから、(多重露光の)やり直しが効かず、偶然性に依らざるを得ないネガフィルムに敢えて拘る。Photoshopで合成の整合性を求める時の、繰り返しのトライ・アンド・エラーから得られる陶酔感も好きなのだが(それはまさに芸術における可逆性の象徴であり、ことの黎明期において革新的であり得たのだった)、今現在、取り組んでいるシリーズはそういう性質を求めていない。

偶然性にイリュージョンを求めることそのものも、世界の可逆化/透明化への抵抗なのかもしれない。仮に抵抗という言葉がもう意味をなさないのなら、それを敢えて引き蘢る行為と言っても差し支えない気がする。
世の引き蘢りたちが自己肯定のためにtwitterで垂れ流す言葉が世界を動かす時代なのだから、芸術が高次の言語であると言い張る必要もないはず。善かれ悪しかれ蔓延している、新しい相対的な見方を拒絶しようとするから疲れるのであって、自分もその地平に立って、「私は私」を宣言してしてしまえばその重力はひとまず無化できるんじゃないだろうか。

そんなことを考えながら、仕事の合間に60年前の中判カメラやリンホフを担いで出掛けていく。ブラッケージのような偏執狂的妄信がある訳ではなく(考えてみれば彼も立派な引き蘢りではないか)、メカス的な宿命を背負っている訳でもないけれど、とにかく刹那的で否定的で、そして時差のあるこの(ネガ)フィルムという媒体が僕はどうしようもなく好きなのだ。
by akiyoshi0511 | 2013-10-08 01:24 | monologue