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真冬になってからもほとんど毎日フィールドに出ていた。ハイテクすぎてもはや自分の手足とは思えない小型カメラジンバルを手に雪深い谷に降りたり、自分にとっては重量級の4Kカメラを防水のリュックに詰めて、薄らと雪の積もった湿原を歩いたり。果ては都心の下水処理場の(昨今では水リサイクルプラザなどと呼ぶらしい)温排水が臭う水域で80センチあまりの「幻の魚」に出会ったり…。
仕事の合間のごく短い時間で、数日に一度は必ず水辺に立っていた。おかげでマイナス5度まではまったく気にならない、マイナス10度でも長時間行動可能な体の耐性だけはできた。

これは一応ロケハンないしはテストシュートなのか、思考を深めるためなのか、それとも逆に思考放棄なのか。全てが曖昧なのだけれども、この厳冬期に景勝地とも言えないような場所を、スノーシューまで購入してまで歩き続けているところが我ながらおかしいし、今まで多忙・過労・体調不良を合言葉に、所謂「まじめな話」しかしたがらなかった自分の心身の変化として、妙な可能性さえ感じる。ネットサーフィンの(死語だが)時間を水辺の散策に宛てただけの話なので、業務の効率は向上しているのは間違いない。何かに対して不真面目になったわけではなくて、真摯に谷に堕ちていると言い切れる。ある種の底に堕ちたものには希望しか見えない、ということだろうか。

上徳如谷という言葉をある人から聞いた。鹿が外敵から身を護りながら傷を癒すために谷間に隠れるという逸話が起源らしい。あるいは、(谷底から生態系を見つめ)新たな着想を得るために思考する、なんていう意味もあるそうだ。実際のところは、夏までの過労から胃痛が悪化して、休みをもらって川歩きを再開したことがそもそもの発端なので、圧倒的に前者の気分から始まったのだけど、それは結果的に何かを強く見定めることにつながったようだ。
活動そのものは仕事面・作家面共にとても充実していたが、同時に何も圧倒できなかった2014年後半から2015年前半の動きが、もっと根源的なアクションを起こせ、という命題を導き出したのかもしれない。

これは何かとの決別であり、同時に別の何かとの和解のようなもの。決別といっても拒否ではないし、和解と言っても手放しで「ただいま」という感じでもなく。とにかく何かが分かるまで掘れという命題にたどり着いただけ。思えば8年前、東京から北海道に舞い戻った年、僕は撮影もせずに湿原を歩き続けていた。同じ行動様式に戻って、同じ次元ではいられないということが、既に次の挑戦を暗示しているように思う。

現実的なところでは、曖昧な時間は既に終わり、今は複数の取り組みの段取りで道東に意識を向けている。来週も再来週も、海さえも白く氷結した場所や、近隣の山野で撮影を続けることになる。このために耐寒トレーニングもどきの時間を重ねたのか、寒さを意識しなくとも動けるようになったことでこれらのミッションが生まれたのかという、卵と鶏のような話。








by akiyoshi0511 | 2016-01-29 18:29 | monologue