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年末から動き始めていた案件で、映画をつくるというミッションがある。映画といっても劇場公開を目標とするべきものではないし、まして収益ベースのものではない。今のところこの仕事は(実質上のパイロットワークである一作目に限って)、とにかく海外映画祭などのアカデミックな展開を主目的に、その題材やテーマの部分でクライアントの意思に叶うものにする‥という、非常に珍しく幸運な形態をとっている。

正月のゆったりした道東訪問から一転、今度は映画制作のために連日網走や道北を駆け回り、ロケハンや出演交渉などの段取りを進めつつ、同時進行でシナリオの仕上げ作業。収益のない仕事になりつつあるのは承知しつつ、ここで自分たちがやっておくべきことはなんなのか、表層で、建前で成果をあげるのではなく、本当に強い結果とはどのようなものかを念頭に、自分とスタッフは全身をそこに投じて準備を進める。言うまでもなく通常の仕事よりも考えることが多い。題材が地方の歴史や人に関わるものでもあるので、現地で関係者の話を聞くプロセスも欠かせない(これは何よりも楽しい作業でもある)。兎にも角にも、映画制作を短い納期に向けて動かすとなると、日頃の広告映像とはまったく異なるワークフローが生じる。

ある側面においては、こんな毎日は10数年前には日常だった。当時は8ミリ映画や16ミリ映画で、なんら外部からの要請もなく、ただただ己の執心のみに突き動かされながら、日夜映画について語り、シナリオを何度も読み返して校正し、ロケハンを繰り返し、出演者を探し回ったりしていた。当時の制作集団は3人か5人くらいのグループで各々が交代で監督作を作るという流れで動いていた。長編が形になったのは最初の一人で、二人目は撮影のみ完了して未編集、三人目の自分は、長編の撮影半ばで諦めざるを得ない状況になった。
このブログは2005年から始まっていて、それはちょうど自分の長編制作に本腰を入れ始めた時期だと思う。当時の映画論や社会への視線が青臭すぎて読むに堪えないけれど、あの日々から10数年、ある意味ではシームレスに再び映画制作が動いている。端的に言えば、あの頃の続きがいまここにある。ブログを消さないでおいたのは、こうして再び映画に取り組む時も見据えていたのは間違いない。

映画は僕にとっては原点であり、同時に鬼門でもある。最初の短編のアナーバー入選や国内受賞がなければ続けていく自信は得ることができなかったし、その後に満を持して取り組んだ上記の長編映画の失敗がなければ、写真に本格的に取り組むこともなかったに違いない。
その原点なり鬼門がもう一度目の前に現れて、全力で戦いなさいと迫ってくる。臆せず飛び込み、やはり予想通りというかなんというか、軽く命にも関わるような状況も経験しながら制作は深まっていく。これが映画だったな…と思いながら、時おり冷や汗をかきながら物事を前へ前へと推し進めていく。迷っていたら間に合わないし、何かを決める度にそこで作品の明暗が分かれる。この極限のプロセスが、そして結果としての作品の質が今後の鍵になるだろうということは直感している。制作者の熱量は、必然的にその後の作品の価値を左右していくということを経験的に学んでいるからだ。故にこのやり方を信じて、敢えてこの極限状況に身を置いているのだろう。

制作スタッフの仕事には3年間の成長が反映されており、完璧とは言えないまでも丁寧かつ迅速に進む。東京からは信頼しているカメラマンが交通費だけで駆けつけてくれる。僕も谷底で冬眠していた頭をフル稼働して完璧な設計図を描くべく努力をしている。誰か一人でもこの状況を信じられなくなれば全員が倒れることは分かっているが、そんなことを危惧していては到底映画など生み出し得ないということを、やはり僕は経験的に知っている。


by akiyoshi0511 | 2016-02-12 14:18 | monologue