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2005.11.30

 昨夜からやっと、脚本に手を入れ始めた。細部を流用しながらも設定や大枠は全く違うものになる、という作業。また途方もない調整が続くのか、どうか。4年を越える時間をかけての取り組みとなってしまった以上、伝えたいと考えるすべての人に伝わるように、かつ本質的な訴求力は損なわないように、と注意深く考える。プロットは依然曖昧模糊としており、今までの情報と、あたらしい情報を黙々と繰り返し整理しながら、全てが地続きに感じられる瞬間を待つのみ。

 待つ、という行為は、ある種の綿密な情報蒐集のうえに成り立っている。その煮えたぎる知の渦のなかにフト現れる空洞のようなもの(HEUREKA)が訪れるのを待つ、ということであり、決してボンヤリするということではないと、嘗て学生に言って聞かせてた自分が、再びその地点から出直している。

 来夏の鉱山撮影のために、群馬の山奥に家具付きの部屋を借りた。これも件の映画助成の一環として無料で借りることができた。映画の重要なシーン、そしてもうひとつの取り組みのために、その部屋を活用することになる。
 (部屋にはなぜか、2段ベッドが据え付けられている)
 
 何であれ、ここから先は焦らず楽しみながら進めてゆくつもり。言うのも恥ずかしいが、本当に自分をぎりぎりまで追い詰めた数年間だった。じわりじわりと追い詰められてゆくのを感じ、破綻を覚悟で突きすすんでついに本当に破綻するというのはそう何度も経験したくはない。結局当初の、そして2度目の期限さえ過ぎてしまったのであるが、それでもまだわずかな機会が与えられているということにひとまず感謝したい。

 さすがに短編を海外映画祭で発表してからもう2年近く経っており(完成時から考えれば3年以上)、活動を継続する意味でも長篇製作にばかり囚われていられないので、来年は上記の別の小品を何らかのかたちで、発表したいと思う。映画ではないにせよ映像を扱ったものになることは確か。

・・・

 本当に、ひとりの人間にできることなんて僅かなんだと思う。真の非凡さとはなにか知ってしまった時点で、己は凡夫であることも同時に痛感するものだが、非凡さを知ってしまった凡夫ほど面倒な人生はないなと、つくづく思う。同時代と19世紀ロマン主義を敢えて同時に摂取し、古いメルセデスに乗って、トヨタの国粋主義をきちんと指摘する、というような姿勢が今のところ個人として(あくまで美的レベルの態度だが)しっくりくる。

 トヨタもそうだが、武士道精神だの滅私奉公(右左を問わず個人の解体ほど危険なものはない)だのという、あり得ない言葉(言葉そのものではなくそれを悪用するような言い回し)が水面下で息を吹き返している。規制緩和と言って営利活動は保障されながら、市民生活においては小さなところから規制と検閲が日増しに強くなっていくのに、国民は一向に意に介さないというような奇妙な状況。そして戦地ボランティアの不幸を自己責任と言ってのけ、国家営利に背いた人間を罵倒する首相に、いとも簡単に靡く国民。
 この状況のどこが「平和」と言えるのだろう。
by akiyoshi0511 | 2005-11-30 20:45