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初夏まで息つく間もなく

一昨日は市内のホテルで、東京から来ていた某環境映像チャンネルの方と、札幌の某青年団体の代表氏と、某NPOの方の会合に顔を出す。その後、助成金申請についてNPOの助言を受けるため事務所を訪問。丁度その時に電話が入って、5月上旬放送のFMノースウェーブの番組に出演することに。
そして昨日の昼前、某NPOの担当者の方々が事務所に来て6月の撮影ワークショップの打合せ。これは札幌駅から北大の森を歩くイベントで、理科の教諭の方がナビゲートして周辺の自然環境を解説し、並行して写真家が景色の見方について語り撮影のレクチャーをしながら参加者とともに歩くという面白い企画。こういう組み合わせ(環境の専門家+写真家のワークショップ)は意外と少ないのでいろいろなシチュエーションでシリーズ化したら素敵かも…と話す。

続いて午後2時から、札幌映画サークルという任意団体の媒体掲載のための取材を受ける。先のシアターキノの上映会がきっかけで今回、会報誌に映画祭と映画製作について情報掲載をしていただくことに。
話の流れで、(自分の)人生は60年くらいでいいと話をした。男性の平均寿命は78歳ですよ…と諭されたが、言い換えればこれは、60年は欲しいと思えるようになったということだ。数年前までは40年位で良かった気がする。(つまり、計画が長期化したということか)

2件の話し合いを終え、少々疲れたので夕方に休憩がてら石狩までドライブ。天気が良くて、春のドライブを先取りという感じだった。早く、暖かくなってほしい。

事務所に戻って、宮崎淳氏のDVDを観ながらうとうとしていた。日々は充実しているのだけど、相変わらず疲れ易い。ちなみに、実験映画をあまり観なくなってからも、宮崎氏の作品だけは時々観たくなる。その映像の根底にある強い力の秘密はなんだろうか?
自分は北海道に戻って以来、ドキュメンタリーという名目で撮影を続けてきたが、この取り組みはおそらく、その範疇では終わらないだろうし、終わらせないだろう。これからは寡作を脱するのも目標。
グラフィックデザイナーNさんと仲間の企画屋Yさんが遊びに来たので、しばし歓談。誰かと会話していると、どんどんワークショップのアイデアが出てくるのに、一人でデスクに向かうとどうして思考が硬直するのだろう。対話が閃きに繋がるタイプらしく、対話がないとあまりアイデアが生まれないのだった。
何かに追われている時に限って、長い日記を書くことが多いのだけど、それは働かない頭をどうにかして揺り起こそうという作用なのかもしれない。自分自身を対話の相手にしたウォーミングアップ。非常用電源のようなものか…。

BGMに「Loons Of Echo Pond」というカナダの自然音のステレオレコーディングCD音源を聴きながら、坂本龍一のhibariをYoutubeのループ再生で重ねてみると、いい感じに。

5年振り(6年振り?)に非常勤で映像制作を教えることになった。昨年から講演やセミナーが増えているので、これが自然な流れという気がしている。いま急いで、半期分のレジュメを組み立てている。時期も時期なので、いろいろ仕事案件の納期も差し迫っている。
加えて、「アースビジョン in 北海道」の動きも本番に向けて秒読み。年度開けから初夏まで息つく間もない。
by akiyoshi0511 | 2010-03-31 08:31 | monologue

『地上の、都市や社会のいとなみから解放された映像が、どうしても必要となる。誰かのため、とか、何かとの相互作用、ではなく、もうそこできっぱりと終わりを告げる透明な一音。すべてから遠いところにある一瞬。ヘルツォークのようにそれがすべてだとは言わないが、それも必要であることは、確かだ。』

2005年の自分のブログに書かれた(当時制作中だった長篇映画のための)言葉。
あれから5年経ち、ウトナイのシリーズを展示している今、ふとこの言葉に再び光を当てたいと思い、引用する。

今回の展示で向かって左側の区分にある、空港付近の原野の枯木(こぼく)。それは5年前に別のかたちで、既に見いだされていたものでもあった。「そこでもうきっぱりと終わりを告げる透明な一音」。それはまさに、あの枯木が発した、一回性のアウラそのものだったのだ。
そこで獲得された一枚の写真なくして『Two Sanctuaries』というタイトルも、シリーズ全体のトーンもリズムも、得られなかったと思う。

・・・

最近になって、雪が溶けて久しぶりに大地が露になった撮影地を通りかかると、空港周辺の国道を走ると必ず目にすることができたはずのその枯木が、もう見当たらないことに気付いた。
おそらく冬の間の強風で頽れてしまったのだと思うが、出会いにも消滅にも、不思議な縁を感じる木だった。

あの日、夏の夕刻の光に導かれて立ち現れた深く強い存在感に、ふたたび巡り会う機会はもう「永遠にない」ということ。言い換えれば、僕の拙い写真の中に、それは確かに刻まれている。
by akiyoshi0511 | 2010-03-26 06:41 | monologue