人気ブログランキング |

<   2011年 01月 ( 1 )   > この月の画像一覧

未知のカメラ

年末年始はいつも以上に制作物に追われる…というのは例年のことなので慣れているが、今年はとくにやることが多くて、年が明けてからの一週間はほぼカンヅメ状態で、昼夜もなく作業をしていた。
年賀状の用意はしたものの宛名書きをする時間が遂に捻出できず、結局年始のご挨拶もメールに代えて、ほとんどPCに向かいっぱなしだった。昨夜でひとまずその状態から開放されたが、3月末までは同じような状況が断続的に訪れることになっている。

休暇返上で取り組んだ甲斐あって、今回で3年目になるアース・ビジョンの告知映像のラフは何とか仕上がり、3月のパフォーマンスに向けた映像のプログラムもある程度のところまで作成。同じく3月の写真展の展示プランも大まかなところは決まった。

それで制作物の方は少し目処が立ったが、今度は授業が始まるので明日から数週間は日夜、その準備に追われる。
近現代の写真論、映画論を辿る講義はあと2回ほどで、最終回を迎える。ここまでの情報はもっとも重要なものだが、同時にあくまで基礎や素養レベルのもの。春からは実制作にどんどん取り組みながら、現代映画ならではの新しい話法や、CMやミュージックビデオ等の撮影・編集のハイテクニックを学ぶ段階に移行する。

それとは別に進めてきた撮影・編集技術の講義は、映像構成のための基礎論をあと数回で何とか伝えきらねばならない。特に編集論は実習形式でなければ、教える側にとっても教えられる側にとっても正直退屈なものだが、基礎的なノウハウを知っているのと知らないのとでは、その後が大きく変わる可能性がある。
構成を組むにも、ディテールを詰める際にも、基礎論を知っていればトライ・アンド・エラーの回数が圧倒的に減るからだ。

仕事は苦労を伴いつつも楽しいが、少々不安があるのは体調の方。一昨年あたりから断続的に出ている症状が昨年末からまた悪化してきたので、今回ばかりは覚悟を決めて、初めて内視鏡検査を受けてみることにした。
日々学び、考え倦ねてきたカメラの視線、モノを見る視線が、突然自分のからだの中に向けられると思うと何だか不思議な気がする。自分の体内というものは現実に存在しているにも関わらず、視覚的に感知できないという意味では現実の裏側にある領域でもあり、ほとんど無意識の夢と同じようなものかもしれない。自分自身の預かり知れぬ領域で何かが起こっていて、おそるおそるそこに目を向ける。これは文字通りの意味で、「生き残るためのセルフ・ポートレート」だろうか。
そして、そこには本来見えないものを視ようとする視線の欲求も多少は見出すことができる。仮にもしも自分が医療技術に精通していたなら、X線写真や内視鏡を使ってなにか作品を作っているかもしれない。アナログのレントゲン写真も、考えてみればれっきとした写真装置ではある。そして今、自己の「内部の現実」と向き合うことができるのは、フィルムカメラなどではなく超小型のCCDだ。デジタルで明るみにされる自己の体内。それは観念も、曖昧さも介在する余地のない文字通りの現実…のような気がする。

それで何か妙なものが見つかるにしても見つからないにしても、いずれにしてもそろそろ自分は「引き算」の時間軸を生きる年頃に入ったことを実感している。一日/一時間/一分を無駄にせず、また時には、時間を慈しむような感覚も大切にしたいと思う。


Akiyoshi Kitagawa on the web
http://www.visual-activist.com/akiyoshikitagawa/index.html

by akiyoshi0511 | 2011-01-11 16:15 | monologue