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「3.11」への私感

震災が起きたとき、僕は一年で最も忙しい時期で、深夜にテレビやツイッターで情報収集するのが精一杯だった。震災を考える間もなく業務に追われてしまうことの無力感は生涯忘れられないだろう。
当時の北海道の、どこか安穏とした空気も忘れられない。北海道にいて良かったという言葉を何度、耳にしただろう。テレビから刻々と伝わる原発関連の報道を観ながら、半ばお祭り騒ぎの人もいた。恥ずかしいことだと思った。

自分自身も、募金以外の活動ができなかったのが事実。募金が正しく使われるとは限らないと薄々感じていたのも事実。職場とコンビニの往復生活の中で、自分にできることはそれくらいしかないと諦めて、免罪符のように毎日500円をレジの募金箱に入れ続けた。

写真洗浄のボランティアも、当初はとても微妙な気持ちで取り組んだ。写真家である自分が他者の写真に慈善と言う名目で関わることに対して、100%前向きだったかと言えばそうではない。けれど、そこで震災の生々しい痕跡(現場に比べれば微かなものだけれど、写真と向き合っている者だからこそ分かる物々しさがそのプリントから伝わってきた)に触れたのは、間接的だけれど唯一の震災「体験」と言える。本当に恐ろしいことが起きたのだと、僕はその時初めて実感を持つことができたかもしれない。写真を洗って被災した方々の助けになるという気持ちはなく、ただただ、腐朽しはげ落ちたプリントから漂う死の匂いに怖れ戦きながら、それらの写真と向き合った。
ボランティアを手伝ってくれた学生たちには、そういう自分個人の想いではなく、学生の人生の糧になることを、なにか一言でも伝えたいと必死に言葉を探していた。何を話したか覚えていないから、きっときちんと本質を伝えられなかったのだろう(もしも時間を元に戻せるなら、今ここに書いているようなことを学生に伝えたいと思う)。

自分には震災1年と言う区切りはないと思っている。震災発生直後に現場を訪れることができず、被害を本当の意味で実感することがなかった僕のような者は、1年後の今日を区切りの日として捉えてはいけないと思っている。
今まで通り毎日のようにこの問題を考え続けて、今まで通り自分にできることを探し続けるだけ。そしてひとまず今、具体的に見えているのは5年くらい後に自分が現地で(おそらく写真で)なすべきこと。

個を見失わず、時局に埋没しないスケールで震災を考え続けたいと思う。
by akiyoshi0511 | 2012-03-11 15:18 | monologue