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『地上の、都市や社会のいとなみから解放された映像が、どうしても必要となる。誰かのため、とか、何かとの相互作用、ではなく、もうそこできっぱりと終わりを告げる透明な一音。すべてから遠いところにある一瞬。ヘルツォークのようにそれがすべてだとは言わないが、それも必要であることは、確かだ。』

2005年の自分のブログに書かれた(当時制作中だった長篇映画のための)言葉。
あれから5年経ち、ウトナイのシリーズを展示している今、ふとこの言葉に再び光を当てたいと思い、引用する。

今回の展示で向かって左側の区分にある、空港付近の原野の枯木(こぼく)。それは5年前に別のかたちで、既に見いだされていたものでもあった。「そこでもうきっぱりと終わりを告げる透明な一音」。それはまさに、あの枯木が発した、一回性のアウラそのものだったのだ。
そこで獲得された一枚の写真なくして『Two Sanctuaries』というタイトルも、シリーズ全体のトーンもリズムも、得られなかったと思う。

・・・

最近になって、雪が溶けて久しぶりに大地が露になった撮影地を通りかかると、空港周辺の国道を走ると必ず目にすることができたはずのその枯木が、もう見当たらないことに気付いた。
おそらく冬の間の強風で頽れてしまったのだと思うが、出会いにも消滅にも、不思議な縁を感じる木だった。

あの日、夏の夕刻の光に導かれて立ち現れた深く強い存在感に、ふたたび巡り会う機会はもう「永遠にない」ということ。言い換えれば、僕の拙い写真の中に、それは確かに刻まれている。
# by akiyoshi0511 | 2010-03-26 06:41 | monologue

講演報告&次の展示予定

昨日は札幌市の文化施設「ちえりあ」で講演を行わせていただいた。
数年振りに2時間の長丁場ということで不安もあったが、思えば昔は、毎日2時間とか5時間の講義をやってた訳で…意外と難なく終えた後、ふとその頃を思い出した次第。

今回は受講生が50代〜60代の方々。人生の先輩方に自己の映画/写真の取り組みをご紹介し、想いをお伝えするというのは緊張したが、テクニックも制作の苦労も含めて、包み隠さずいろいろなことをお話しさせていただいた。
質問も止むことなく、あっという間の二時間だった。

午後からは近代美術館で講演を聴く予定だったが、時間ギリギリで現場に着いたら駐車場渋滞。木金の徹夜が祟ってアクセルとブレーキを間違いそうなくらい疲れていたので、聴講を断念して一時帰宅に変更。
しかし、自宅に帰ってからやることをいろいろと思い出して事務所へ出るも、ふらふらと7号室のデスクに辿り着いた時点で残存体力ゼロになり、床で仮眠。
3時間転寝していたら帰宅時間になってて、結局寝に行っただけになってしまった…昔だったらこういうスケジュールは気力でこなせたのに。

来週末は件の映画館での上映、その後も発表が続く。
3月19日から一週間、昨年末に新設されたウトナイ湖の道の駅での写真展も決まった。
ウトナイでの「Two Sanctuaries」の展示が、遂に実現する。
# by akiyoshi0511 | 2010-02-28 12:51 | monologue

シアターキノで上映


3月6日、7日の午前、札幌市内の映画館・シアターキノにて「森と水の庭ウトナイ」(パイロット版)の上映と、短い講演を行わせていただくことになった。
昨夜は上映終了後の映画館に伺い、映写のテスト。実はこれは二度目のテストで、一度目はコネクタの選択を誤り失敗したのだった。

いろいろと調べてコネクタを用意した甲斐あって、今回は遂にパソコン出力による映写に成功。想像以上の解像力と発色に驚く。本番に向けて熱が入り、ダイジェスト版の修正、というかほぼ再編集を決めた。
今週末までは別の出展のための写真製作でほとんど寝る間もないのに、そんな時間と余裕がどこにあるのか。けれど、とにかくやると決めたのだから、やろう。

目前にある可能性に誠心誠意、作品で応える。
あれこれ考えても所詮、最終的な選択肢はそれしかない。

※上映についての詳細は下記を御覧ください。
 http://theaterkino.net/
 (「親子上映会」の項を参照)
# by akiyoshi0511 | 2010-02-24 23:39 | monologue

札幌の某グループ展に参加します。
習作あるいは、あらたなシリーズの端緒として三点もしくは四点を展示の予定。
# by akiyoshi0511 | 2010-01-21 02:46 | monologue

本日の北海道新聞朝刊に

ウトナイの映画の記事が載っています。
道新の方はご覧ください。
# by akiyoshi0511 | 2010-01-11 11:10 | dialogue

新年一冊目

朝、自宅に東京の舞踏家の知人からDVDが届いていたので、そのままバッグに詰め込んで事務所に持って行く。
拝見するのが楽しみ。

通勤途中の紀伊国屋で『明るい部屋 の秘密』を購入。
今日も仕事はあるが土曜日なので読書可…ということで喫茶店でさわりだけ読む。
ちなみに昨年暮れから読んでいるのは『都市表象分析Ⅰ』。
買ったのは5年ほど前だろうか。
読み始めてみると面白くて、思ったよりも早いペースで進んでいる。

喫茶店でゆっくり読書…一体何ヶ月振りになるのだろう。
しかも珈琲を持っている時に、知人から嬉しい(仕事の)電話をいただいた。
# by akiyoshi0511 | 2010-01-09 16:34 | monologue

Akiyoshi KItagawa on the web

http://www.visual-activist.com/akiyoshikitagawa/

個人のウェブページを再開した。
たぶん2年振りくらいだと思う。

ついでにお伝えすると、VAのサイト自体も若干リニューアルされています。

http://www.visual-activist.com/

今年も宜しくお願いします。
# by akiyoshi0511 | 2010-01-06 00:50 | monologue

総括2009

2009年12月31日16時。今年もあと数時間で終わる。今日はこれから事務所に出て、仕事をしながら年越し。日々差し迫る業務に追われてできなかった仕事や作業を、年末年始に一気にこなす。これはもう、毎年恒例になりつつある。

先日、新聞社の方に拙作の映画撮影のもようを取材していただいた。東京から北海道に戻って最初に見定めた場所「ウトナイ」で、大方において一人で歩むこと3年目。やっとこの取り組みに、小さな光が当てられつつあるようで、年の瀬の出来事として、大変嬉しかった。

今年は、本当に目紛しく活動した。写真展4回にパネル展、ドキュメンタリー映画の撮影、「苫小牧イコロの森」の撮影、恵庭のガーデンの撮影、夏のezorockとのコラボレーション、数度のセミナー講演、とくにこの半年間に凝集された活動は、数え上げればキリがない。

来年は、全ての取り組みの真価が問われることになるだろう。とくにウトナイの映画制作は発表が秒読みに入っている。この作品が地域や映画祭で流通あるいは公開されることで、雨竜沼湿原の写真家のO氏がおっしゃっていた「撮り、伝えることの責任」とも向き合うことになると思う。

また春以降は、ウトナイ以外の北海道の諸地域でも撮影活動を始めることになるだろう。自己の作品の作法・方法論も、数年間でひとつの考え方が熟成・確認され、またその限界も痛感した。ここから、これまでの作法を踏まえつつ、あらたな局面を迎える。

そして、知床…。まだ未確定ではあるけれど、なんらかの関わりが生まれる可能性が高く、今から期待が高まる。

一人の写真家としても、年末にエージェントとの契約が成立し、ネクストステージに踏み込むことになった。作品を撮り、生活する。今、このサイクルが自分にとってほかの何よりも重要なこととして再度、位置づけられている。写真以外のことにたくさん取り組んだからこそ、その心づもりが得られたようにも思う。

・・・

2009年、これまでとは比較にならないほど多くの方々と出逢い、ご支援をいただき、お陰様で充実の日々を過ごすことができました。
心よりお礼を申し上げます。

そして2010年、本格的に30代の奔流に、そして北海道の奔流に踏み込みますが、何であれ、何が起ころうとも、堂々と泳ぎきる心づもりでゆきたいと考えています。
# by akiyoshi0511 | 2009-12-31 17:23 | dialogue

冬に再会する

半期分の撮影素材をまとめる作業が一挙に押し寄せている。
先月から映像編集が4本立て続けにあり、打合せと先の環境セミナー講師の日以外はほとんど事務所に籠る毎日。
新しい市内の事務所が快適なのが、せめてもの救い。

編集の合間を縫って、22日はウトナイの環境施設で取材撮影を行った。映画の作業はそろそろ佳境に入っている。
23日も徹夜で編集作業だったが、今日は予定していたクライアント試写のスケジュールが明日に変更になったので、4×5カメラを車に乗せて札幌の郊外へ向かった。3時間だけ、仕事を忘れることにした。

札幌南部の定山渓という山の中の湖まで赴く。ダムの周囲は新雪で白銀の世界だった。思えば北海道の雪ときちんと再会できたのは、今日このときのような気がして、しばらく静かな湖面を眺めていた。
札幌に居を移して3年になるが、去年までは毎月東京との往復だったし、家も混乱していたし、札幌には知人もほとんどいなかった。
2つのシリーズ作品の撮影だけが、北海道との接点であり、言い換えればそれは北海道との接点を模索する取り組みでもあった。

昨年末に作品がまとまり、今春から目紛しく周囲の状況が変わって、今に至る。
この先のことなど定かではないものの、北海道の冬と落ち着いて向き合うのは、つまり10数年振りだったのだ。
写真は撮らなかったが、良い時間だった。

今期、半年間のカメラマンとしての案件はひとまず完遂することができた。全体を通してほとんど体力の限界との鬩ぎあいが全てだったけれど、余力のない中での撮影は、自分の撮影を見直す良い機会にもなった。
写真とはなにか?という問いの中で課していた技術的な枷のようなものは、もう脱ぎ捨ててしまっても良いだろうという気持ちに、ここへきてやっとなれたのだが、そう思い至るには、2つの作品シリーズの完遂だけでなく今夏のガーデン撮影の経験が必須だったのだ、おそらく。

写真への想いは変わらない。
写真で何をすべきかという想いも変わらない。
しかし写真の機構的な意味での真実性に拘泥するのは、もはや無意味に思われる。

標準レンズの視野と、手持ちの撮影と、必然的に浅い被写界深度。ビューカメラでの「視線の再現」の表現などは、これからは自己の一技巧(…に過ぎないもの)として捉えなおしてゆくだろう。
# by akiyoshi0511 | 2009-12-25 01:41 | monologue

新作に向けて

仕事漬けが小休止となった数日で、写真の思考もやっと活性化してきたようだ。実地の取り組みの煩悶を抜けたあとでもあるので、写真を想うことがまず心から清々しく。

昨年までに、例えそれが些末なものであれ自己の正論をひとしきりシリーズとして形にすることが叶ったので(それそのものは今後も継続するとして)、10年来抱え続けてきた否定や不満を、潔く絶つときがいよいよ来たのかもしれない。

感覚や観念だけではなにも成り立たない。断片ではなくプロセスとして練り上げるために、ノートにいろいろと文字や脳裏を過るイメージを書き付けている。次の取り組は、比較的広い範囲を動き、注意深く陳腐化を避け続けながら一枚一枚のイメージを紡ぐことになるだろう。少なくとも、そういう姿勢は要求されるようだ。

・・・

本日はこれから、寝不足のままで早朝から勇払の森で記録映画の撮影。
その映画の方も、記録映画(地域理解促進活動)としての直球の取り組みの他に、同じ素材+αからまったく別のブリコラージュな映画を作る、ということで考えがまとまりつつある。

実地で受け入れてもらえるのは前者、自分を知る人が興味を持ってくれるのはおそらく後者のはず、しかしこの予想がいい感じに外れることもまた願っている。
# by akiyoshi0511 | 2009-11-22 04:41 | monologue

連れ帰って来たニョッキ

ぼくはこれをニョッキと呼んでいる。
ウトナイのカフェに置くために、この春に購入したツピタンサスという種の樹。

今日、カフェの取り組みは最終日を迎え、早々に荷物の一部を引き上げて来た。
最初に車に積み込んだのは、他ならぬその樹だった。

撤収が、この樹から始まったのはなぜか?
たぶん、この取り組みをまだ生かしたい、まだ育てたいという気持ちの現れだと思う。

場所は変わるけれど、ニョッキと向き合う日々は続く。
# by akiyoshi0511 | 2009-10-31 23:53 | monologue

しなやかな喉

相変わらず、昼も夜も週末も関係ない日々が続いている。
金曜の深夜から土曜の午前まで休んだり、時々、陽のある時間帯に2時間休めたりするのが、せめてもの休息。
そんな抜き差しならない日々の合間に、制作途上のドキュメンタリー映画のナレーションについてふと、思いを巡らせてみた。

いまはテロップで埋めているナラティブの流れを、最終的には一人称のナレーションと並行させるか、ナレーション主体のものに変えようと思っている。

ある人物の声、というのはその人の顔の容貌とか、身体の外見よりも遥かに大きな作用を、その人物の外部に対してもたらすことがある。
言うまでもなく声は喉から出るものだけれど、その喉の力みや、しなやかさは、そのまま心(しん)の力みや、しなやかさを反映してもいる。つまり、その人の表層よりも、奥底の状態が強く反映され、尚かつ外部に表出するのが、声なのだ。

ぼく自身、声の表情はよく変わる。緊張に負けたり、油断していると屈もった音になり、ストレスが嵩むと、声が喉元で閊えて出なくなることもある。寧ろ発声を意識し続けていなければ、いずれかの状態になっている。
だからこそ、自然に発せられるしなやかな声に憧れる。

そんなことを考えながら、ぼくは今、「ウトナイ」を語る声に、あるトーンを求めている。森と水のアウラと対話する「その声」を探す旅は、おそらくは今にはじまることではないのだろう。
「ウトナイ」にたどり着くずっと以前から、ぼくはそれを探していたはずだ。

なぜならこの「ウトナイ」とは、ぼくがずっと探して来たモチーフが、余すところなく揃っている場所であり、ここで映画を撮るということは、別の場所を生きながらえながら朧げに抱えて来たビジョンを、はじめて具現化することでもあるのだから。

「森と水の庭」と名付けたこの作品がしかるべき形に辿り着いたとき、ぼくの呼吸や声は、少しは楽になるだろうか。
そんな個人的な思いなどはどうでもよいのだが、それでもふと、この作品を媒介とした自己の救済へと思いが還って来てしまうことがある。

先日、ひとりで沢に入って鮭の産卵床の撮影をしていた。
このいきものの孕むドラマツルギーには、昔から心惹かれるものがある。
生まれた沢の「水の匂い」を嗅ぎ分けて大海から戻り、おそらくは生まれた場所にほど近い処で、その生涯を閉じるこのいきもの…。
北海道を一度離れる前、10代の頃から、ぼくは鮭の遡上や決死の産卵、その屍体を見つめていた。

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# by akiyoshi0511 | 2009-10-18 13:52 | monologue

この場所

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新千歳空港から車で5分+徒歩で15分の水源。
この地域では珍しい、滾々と湧き出る泉に出逢う。

ここは真冬にもう一度訪れたいと思います。
# by akiyoshi0511 | 2009-10-14 02:54 | monologue

柔らかく斬り込む仕事

北海道に居を移し、「ウトナイ」で写真を撮り始めたのが今から約2年前。
昨年、60枚からなるシリーズがやっとかたちになり、その後、写真を展示しながら、地域にアトリエを構えて活動を映像制作へと発展させて来ました。

これはドキュエンタリー映画、というくくりになると思うのですが、
取材調のルポルタージュではなく、地域の人々の言葉や営みと実景を交えながらモンタージュ的に地域のありようを描くことで、普遍的な問題意識や、エコロジーへの希望を炙り出そうというアプローチ。

最終的には四季の素材を使って50分ほどの中編になる予定ですが、今は上記のように撮影済みの素材を順次短編作品として編集し、地元ウトナイを含め、各方面で上映活動等をしています。


(画面を2度クリックすると大きなサイズでご覧になれます)

編集が何バージョンも存在するのも、今回の取り組みの特徴です。
そして制作された映像を通して、地域へのはたらきかけを行っています。
10月後半には再び地元苫小牧の施設で、30分ほどの中期バージョンを公開予定。

まさに "Work in progress"。

当初からざっくりと構成を決めてはいましたが、5月にウトナイの森にコミュニティカフェを構えて以来、カフェに訪れる地域の人々との関わりの中で撮影対象も増えて行きました。例えばウトナイ湖の遊漁のシーンや、「美々川」の川下りの素晴らしい映像は、地域の方々との出会いから生まれたものです。
# by akiyoshi0511 | 2009-10-02 10:59 | dialogue

Meditation on Mars

あたらしいシリーズに取り組んでいます。

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今回のシリーズに限らず、あらたな作品に取り組む時は、まずひとつの印象的なエリアからモチーフを選定し、それらを期間を置いて繰り返し写し取りながら、そのモチーフのもっとも明確なイマージュを探る、ということをする。
(誤解を恐れずに言えば、その突出したイマージュは偶然に見いだされることもしばしば起こりえる)

そして次に複数のスポットから同種のモチーフを選び出し、「ヨコ」に切り開かれた体系に展開する。
蒐集と編纂の形式が変化したり、局所的な視線から全的なテーマが生まれたり、あるいは全的な視線から局所的なテーマが生まれたり…ということを繰り返しながら、この体系を練り上げてゆく。

タイポロジーとブリコラージュの並存。
一定の姿勢と変化する視線をひと抱えにしながら、その導線を見いだして行く作業。

たまたまこのタイミングで、「悲しき熱帯」の素晴らしいレビューを見た。

シリーズの第一弾は、12月に札幌市内で展示予定。
# by akiyoshi0511 | 2009-09-28 12:38 | monologue

この週末は円山公園へ

札幌市内の円山動物園にて開催される、「北海道環境活動交流フォーラム2009」にて展示を行っています。
美々川の映像、ウトナイの写真(合計24点)等をパネルにて展示しています。

市内の方はぜひお越し下さい。
# by akiyoshi0511 | 2009-09-12 01:24 | dialogue

吉日

昨日、札幌のICCにて、アメリカのサンディエゴ写真美術館のエグゼクティブ・ディレクター、デボラ・クロチコ氏に写真を講評していただく機を得ました。
今回提出したのは「Two Sanctuaries」と「Unknown Northern City」。

プレゼンテーションの最初の一枚から、最後の一枚まで、そしてその後のトークを含めて30分ほど、心地よい対話が続きました。制限時間を大幅にオーバーしてしまいましたが、もっともっと話を続けたい、そういう思いでした。
はじめて、自分の写真が、しかるべき場所で、しかるべき人に伝わった実感を得た気がしています。

表現には、こと写真表現には、必ず作家の論理というものが存在します。
今回、事前の解説抜きで、己の論理をしかと汲み取っていただけたのは、本当に嬉しかった。
美だけではなく、観念だけではなく、写真とは他ならぬ「論理」なのだというわたしの声に、共鳴していただけたと思います。
そして、「Visual literacy」の考え方を持つクロチコ氏だからこそ、そのように深くご理解いただけたのだと思っています。

詳しい採録は、後日どこかに記載できればと思っていますが、まずはこの機会をくださった方々に、そして現場のコーディネートを努めてくださった在札幌米国総領事館と札幌ICCの皆様に、心より感謝いたします。

・・・

この吉日の夜、ぼくはひとつの決断をしました。
同じく昨夜、あらたに現像が上がって来たあたらしいシリーズの感触も上々。
これはまだテスト段階ですが、来年の本撮影に向けて詰めて行きたいと思っています。
# by akiyoshi0511 | 2009-09-09 11:39 | dialogue

memo

わたしが「知っている」と思うことは、ほんとうに「わたしが」知っていることなのか。
それは生まれる以前、あるいは生まれて以後に刷り込まれた誰かのイマージュの焼き直しであり、誰かのイデオローグの無意識の反芻ではないのか。

故にわたしにとって写真を撮ることの営為とは、わたし自身の「不用意な」認識や記憶をたえず打ち消しながら、眼前の現実を「第四の人称」において捉え直すことにある。

なぜそのようなあり方に執心するのかと言えば、それはやはり村上春樹が先のイスラエル訪問で発言したように、世界を席巻する「システム」に自己の存在が取り込まれないようにするため…なのだろう。
# by akiyoshi0511 | 2009-08-20 12:24 | monologue